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〈創業者が激白〉コーエーテクモ、襟川陽一会長が明かす「15年かけた引き継ぎ計画」の舞台裏 経営哲学を伝承する仕組みとは?

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ゲームクリエイターとして数々のヒット作を生み出してきた襟川陽一氏。妻の恵子氏と二人三脚の経営により、大手ゲーム会社へと成長させてきた(撮影:梅谷秀司)

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「信長の野望」「三國志」などで知られるコーエーテクモホールディングス。1978年に襟川陽一氏が光栄(現コーエーテクモゲームス)を設立して以来、半世紀近くにわたり、妻の襟川恵子氏とともに二人三脚で唯一無二の経営スタイルを築いてきた。
そして昨年6月、夫妻はついに経営体制の交代を決断。それまで会長だった恵子氏が名誉会長に、同じく社長だった陽一氏が会長に就任し、新社長には、2015年からコーエーテクモゲームスの社長を務める鯉沼久史氏が就任した。
創業者が一線を退いた後、経営哲学はどのように受け継がれていくのか。襟川陽一会長に聞いた。

テクモ統合時から抱いてきた問題意識

――後継者育成への問題意識は、いつ頃から持っていたのでしょうか

2009年に光栄とテクモが経営統合した際、自分は光栄の最高顧問という立場で、10年にコーエーテクモHDの社長として復帰した。それがちょうど60歳のときで、普通なら定年退職する年齢。そこからスタートするのであれば、早く後継者を見つけて、次の世代の経営層を育成していかなければならないと思った。

そのとき、若手で活躍していて最も有望だったのが(新社長に就いた)鯉沼だった。私が00年に「決戦」のプロデューサーを務めたときのメインプログラマーで、プレイステーション2と同時に発売するローンチタイトルだった。難しいプロジェクトだったが、徹夜を繰り返しながら根性を発揮して、プログラム上のバグだけでなく、ハードウェアのバグも見つけてソニーさんと協力して仕上げていく、すばらしい仕事ぶりだった。このタイトルは結果的に世界で大ヒットした。

「ガンダム無双」などで他社とのコラボレーションの仕組みを自分で直接交渉しながら実現するなど、業績への貢献度も大きかった。彼を中心に30代、40代の幹部を育成するという方向性を決めた。

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