〈創業者が激白〉コーエーテクモ、襟川陽一会長が明かす「15年かけた引き継ぎ計画」の舞台裏 経営哲学を伝承する仕組みとは?
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テクモ統合時から抱いてきた問題意識
――後継者育成への問題意識は、いつ頃から持っていたのでしょうか。
2009年に光栄とテクモが経営統合した際、自分は光栄の最高顧問という立場で、10年にコーエーテクモHDの社長として復帰した。それがちょうど60歳のときで、普通なら定年退職する年齢。そこからスタートするのであれば、早く後継者を見つけて、次の世代の経営層を育成していかなければならないと思った。
そのとき、若手で活躍していて最も有望だったのが(新社長に就いた)鯉沼だった。私が00年に「決戦」のプロデューサーを務めたときのメインプログラマーで、プレイステーション2と同時に発売するローンチタイトルだった。難しいプロジェクトだったが、徹夜を繰り返しながら根性を発揮して、プログラム上のバグだけでなく、ハードウェアのバグも見つけてソニーさんと協力して仕上げていく、すばらしい仕事ぶりだった。このタイトルは結果的に世界で大ヒットした。
「ガンダム無双」などで他社とのコラボレーションの仕組みを自分で直接交渉しながら実現するなど、業績への貢献度も大きかった。彼を中心に30代、40代の幹部を育成するという方向性を決めた。






















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