〈カリスマ夫妻の決断〉コーエーテクモ"承継計画"の全貌 徹底した数字管理、驚異の投資術…後継者は「襟川流経営」を伝承できるか
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「45年間、経営者としてゲームの開発をしてきた。ゲームのことを本質的にわかっている人間でなければ、ゲーム会社の経営はできない」
『信長の野望』などで知られるゲーム会社、コーエーテクモホールディングス(HD)。旧・光栄(現コーエーテクモゲームス)の創業者であり、ゲームクリエイター「シブサワ・コウ」の名で数々のヒットを生み出してきた襟川陽一会長は、自社の経営を担うリーダーに求める人物像について、そうした結論に行きついたという。
光栄の祖業は、染料工業薬品の販売だった。陽一氏は30歳の誕生日に、妻の襟川恵子氏からパソコンをプレゼントされたことをきっかけに、ゲーム開発をスタート。初めて作ったゲーム『川中島の合戦』がヒットしたことで、事業を転換した。
それから半世紀近くかけ、陽一氏は、天才投資家としても知られる恵子氏と二人三脚で、独自の経営スタイルを築き上げてきた。創業家同士で付き合いのあったテクモと2009年に統合した後も人員を増やし続け、襟川家の応接間の机2台から始まった会社は、3000人近い社員を抱える大手ゲーム会社に成長した。
2010年頃から後継者を意識
創業時は20代だった夫妻も、今では70代後半に差し掛かる。そんな中で夫妻は昨年、大きな決断をした。経営体制の交代だ。同6月から、会長だった恵子氏が名誉会長に、同じく社長だった陽一氏が会長に就任し、新社長には鯉沼久史氏(54)が就いた。
コーエーテクモHDの取締役会には、夫妻の長女である襟川芽衣氏も名を連ねるが、陽一氏の中で、創業家出身者に経営を継いでもらう考えはなかったという。「株主は、一番経営者に向いていて、稼いでくれる人に社長になってもらい、会社の成長性と収益性を上げてもらうことを期待する。何でそうじゃないのかという疑問が生まれるような会社にしたくないので、一番稼いでいる彼(鯉沼氏)に託す」(陽一氏)。

1994年に光栄に入社した鯉沼氏は、2000年のプレイステーション2と同時に発売された『決戦』で、陽一氏がプロデューサー、鯉沼氏がメインプログラマーという形でタッグを組み、「不眠不休で何とか間に合わせてヒットさせただけでなく、ハードのバグも見つけてソニーと協議しながら直す仕事ぶり」(陽一氏)で信頼を得た。
07年に発売した『ガンダム無双』を筆頭に、他社のIPとコラボレーションする「無双シリーズ」を立ち上げ継続的なヒットを生み出すなど、クリエイティブとビジネスの両立を体現してきた。
陽一氏が、鯉沼氏を後継者候補として考え始めたのは10年頃だったという。それから15年ほどの月日をかけて、段階的に権限移譲を進めてきた。夫妻による唯一無二の経営を、後継者たちはどう受け継いでいくのか。






















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