「人生がどうなるかは自分次第」と考える人は、個人主義のレンズを通して自分の人生を眺め、妄想的な世界観を抱いている

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10日前、彼女の2人の息子たちがまさにそのボールで遊んでいるときに、1人が誤ってボールを海に蹴り込んでしまった。そのボールが130キロメートルほど波間を漂った挙げ句、溺れかけていた男性の近くに絶好のタイミングで流れ着いたのだ。

男の子たちは、無くしたボールのことなど、気にも留めていなかった。あっさり諦めて、新しいボールを買った。たまたまあのとき蹴りそこなっていなければ、今頃イヴァンはこの世にいなかったことには、後になって初めて気づいたのだった。

私たちの人生に関する真の物語は、余白に書かれていることが多い。ほんの些細な点が大切で、今後もけっして出会うことのないような人々による見たところ取るに足りない選択でさえ、私たちの運命を決めうる――ほとんどの人は、イヴァンのようにそれをはっきりと見て取ることはけっしてないだろうが。

イヴァンは例外であり、世の中の正常なあり方から掛け離れているというふりをしたら、大間違いになる。イヴァンは特殊ではない。むしろ彼はただ、私たちのもつれ合った人生の中で、絶えず身の回りで起こっていることを、たまたまはっきりと目にしたにすぎない。

それに引き換え、私たちはいつもそれを無視している。なぜなら私たちは、自分の人生の決定権を単独で握っている独立した一個人であると思い込んでおり、その妄想的な世界観によって物がよく見えなくなっているからだ。

人生は複雑に織り成されたタペストリー

人生というタペストリーは魔法のような糸で織られており、その糸は果てしなく伸びていく。どの瞬間も、遠い過去まではるかに続く、一見無関係のさまざまな糸で織り成されている。1本を引っ張るたびに、必ず思わぬ抵抗に遭う。どの糸も、そのタペストリーの他のあらゆる部分と結びついているからだ。

真相は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がバーミングハムの刑務所からの手紙に書いたとおりであり、「私たちは逃れようのない相互関係のネットワークに搦(から)め捕られ、互いに結びつけられて運命という1着の衣を形作っている」のだ。

(翻訳:柴田裕之)

ブライアン・クラース ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン准教授

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Brian Klaas

ミネソタ州で生まれ育ち、オックスフォード大学で博士号を取得。現在はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの国際政治学の准教授。『アトランティック』誌の寄稿者で、『ワシントン・ポスト』紙の元ウィークリー・コラムニスト。受賞歴のあるポッドキャストPower Corruptsのホストを務めている。著書に『なぜ悪人が上に立つのか』がある。個人のホームページはBrianPKlaas.com、Xのアカウントは@BrianKlaas。

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