
「線形の人生」と「非線形の人生」
これまで科学が飛躍的進歩を遂げる場面では、いったんある観察者が世界のなかのひとつの現象、例えば非線形の存在を特定すると、残りの人たちも、自分の生活を通じてそれを認識するようになった。
たしかにその片鱗は見られる。私が交わした会話のなかでは、誰もが自らの人生を流動的、気まぐれ、変化しやすい、順応性があるなどと表現した。しかしどういうわけか、この可変性を捉えた統一表現は見つからなかった。
だが、それを確立するときが来た。私たちの世界が非線形である以上、私たちは自らの人生もまた非線形であると認識すべきなのだ。循環する人生が線形人生に取って代わられたように、線形人生もまた非線形人生に置き換わりつつある。