「永野芽郁は謝罪会見すべきだ」という声もあるが…「不倫は誤解」という会見なら“起死回生にはならない”理由。ではここから逆転するには?

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当事者が事件を否定しただけで、事態が収拾できることはまずありません。しかし永野さんと田中さんは事務所を通じて否定コメントを発しただけであり、実際のところ何の対策も取っていないように見えます。

だから批判にとどまらず、大きな仕事を失うという実害にエスカレートしてしまったと考えるべきです。

永野芽郁
永野芽郁さんと田中圭さんは2021年公開の映画『そして、バトンは渡された』で共演していた(画像:永野芽郁公式Instagramより)

謝罪会見という「エンタメ」

こうしたスキャンダルが起こるたび、「(不倫が無実であれば)記者会見をすべき」という声が、ネットを中心に巻き起こります。では今回のケースで、永野さんは記者会見をすべきなのでしょうか?

危機に対応するためのコミュニケーションでは、明確なゴール設定とそこに至る方針決定が何より重要です。会見すべきかどうかは、すべて永野さんがこの先をどうしたいのかによります。

スキャンダル当事者は、突然の大嵐でパニック状態になるのが普通ですが、そうだとしてもここで一旦落ち着いて戦況分析と戦略索敵ができなければ、おそらくどんな手を打っても事態収拾は無理でしょう。

謝罪会見は、いつの頃からか、芸能人などの著名人が批判を浴びまくる姿を見る“エンタメコンテンツ化”しました。悪趣味なようですが、著名人が火あぶりのように袋叩きにあうシーンは明らかにニーズがあります。

「謝罪会見をすべき」という意見には、明確な理由はありません。何より不倫は犯罪ではありませんので、会見どころか当事者以外へ謝罪をする必要性すらないのです。家族など直接被害を受けた人以外からの会見要求は、おそらくファンでも何でもない人によるものでしょう。

謝罪会見が必要かどうかは、何のための会見であって、どのようなメッセージを発信し、その結果として至りたいゴールが設定されているかどうかで決まります。危機対応のコミュニケーションは義務や道徳で行うものではありません。

次ページ会見するなら、ロジックに対抗できることが欠かせない
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