Googleが設けていた週20%ルールは有名です。SlackやGmailは、実はその“遊び”から生まれました。これは単なる制度ではありません。部下の“コドモ”部分が自発的に動き出すための空間を与えること。それこそが、本質的な動機付けではないでしょうか。
オトナとして成熟しすぎると、「無駄」や「非効率」を排除したくなります。ですが、その“無駄”の中にこそ、未来の種が眠っているのです。会社の成果とは、「オトナの精度」と「コドモの熱量」の掛け算なのです。
老子は『道徳経』で、柔弱こそが最も強いと説いています。
そしてこの「柔」の象徴こそが赤子(あかご)であるといいます。
コドモは柔です。その柔軟性と無垢さが、しばしばオトナの理屈や制度を超えて、変化をもたらします。真に成熟したリーダーは、老子が説くように「無為自然(あるがまま)」の状態を尊び、過度に管理せず、部下の“コドモ”部分に働きかける空間をつくるべきなのです。
ニーチェの「子ども」と貴族的精神
哲学者ニーチェも『ツァラトゥストラはこう語った』の中で、精神の3つの変容として「ラクダ」「ライオン」「子ども」を挙げました。「ラクダ」は重荷を背負い耐える存在、「ライオン」はそれに反抗し否定する存在、そして「子ども」は新たな価値を創造する存在です。
ニーチェにとって“コドモ”は、最も自由で創造的な精神の象徴です。さらにこの“コドモ”は、ニーチェが高く評価した「貴族的精神」の体現でもあります。
彼が語る貴族的精神とは、支配や特権を意味するのではなく、自ら価値を創造し、他者に依存せず、世界に対して肯定の意志をもって生きる姿勢です。
この精神は、コドモのもつ無垢さ、自由さ、そして遊び心と極めて近いものです。ニーチェが精神の最終段階を「子ども」と名づけたのは、まさにこの貴族的で創造的な生の在り方を象徴するためだったのでしょう。
老子とニーチェ。東西の叡智はいずれも“コドモ”を未成熟な存在ではなく、未来を拓く可能性の源と見ていました。管理するのではなく、信じて任せること。それこそが、老子とニーチェが示した“リーダーの徳”であり、創造の芽を育てる力です。
部下の中の“コドモ”を見抜き、育て、刺激できる上司こそが、最も信頼されるリーダーになるのです。
あなたは、日々の業務で、1on1で、部下の中の“コドモ”を、ちゃんと見ているでしょうか?
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