災害の絶望から誕生
ここで少し、神座のルーツに目を向けてみよう。はじまりは1982年、奈良県にある大和川で起こった氾濫による大水害がきっかけだった。創業者の布施正人氏は、大和川近くで洋食店を経営していたが、店が地下にあったため浸水で使えなくなってしまったのだ。
途方にくれて街を歩いていると、ラーメン店に行列ができているのをみつけた。調べてみると、ラーメンは参入障壁がかなり低いことが分かったそうだ。そこで、「よし、ラーメン店をやろう」と開店場所を探しはじめたところ、現在の本店の場所にある道頓堀で、下駄屋を営む老人と知り合った。老人が、「そんな想いがあるんだったら」と店を売ってくれ、1号店オープンに漕ぎ着けたのだ。
そこから関西を中心に出店していき、2003年に新宿に関東1号店を、2022年にハワイに海外1号店をオープン。39年かけて107軒まで拡大してきた。

しかし、関西、関東以外の国内エリアにはまだ出店していない。その理由は、「関西、関東など、人が多く集まるところで、集中的に認知を拡大したい」というドミナント戦略にあった。さらに、「首都圏など人が多く集まるところで、集中的に認知を拡大したい」という狙いもあった。
【2025年5月22日13時10分追記】初出時、出店について記載に一部誤りがあったため、上記のように修正しました。
海外展開については、現在ハワイ2号店でマーケティング調査をしている状態だ。この店は、まだ関係者や一部の地元民を招くだけの「ソフトオープン」の状態だそうだ。ここで、「おいしいラーメン」や限定メニューが受け入れられるか、試行錯誤を重ねているのだ。
「チーズとトマトを載せて洋風にするなど、海外の方の口に合うよう調整しているところです。外国人スタッフの教育の意味合いもあります。ブラッシュアップして、グランドオープンに持っていきたいと考えています」と大林氏。

この結果を踏まえた上で、将来的にはアメリカ本土へ進出し、さらにロンドン、ドバイ、パリなど主要都市に出店する計画だ。
それらを旗艦店と位置づけ、「各国の現地事情に詳しいFCと手を組んで、周辺エリアに広げていく」戦略を描いている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら