【朝ドラ あんぱん】やなせたかし「育ての親」と悲しすぎる別れ 愛情いっぱいに育ててくれた《伯父の寛》 東京で電報を受け取ったやなせは…
「兄貴おそいよ」
弟の千尋からそう責められても、一言も言い返すことはできなかった。のちにこう振り返っている。
「父は死んでいた。父というのは本当は伯父で、籍は入っていなかったから、義父でもなかった。しかしぼくはお父さんと呼んでいたし、たしかに父だった。実子でもないぼくを望むままに東京に遊学させ、海のものとも山のものとも知れない芸術の道に進むことを許してくれたではないか。ぼくはどんなに感謝しても感謝しきれない」
50歳の若さで他界した寛。やなせは、ただただ涙が流れて止まらず、大声で子どものように泣いた。
卒業後は製薬会社のデザイナーに
東京高等工芸学校工芸図案科を卒業すると、やなせは東京田辺製薬に入社。宣伝部に配属され、デザイナーとして働くことになった。

その前年には、大手広告代理店・電通でアルバイトをしており、ちょうど懸賞にも入賞したため、就職の際には電通からも声がかかっていたという。
それでもやなせが製薬会社に入ったのは、「少しでも薬を安く父の寛に回せるかもしれない」と考えたことも、理由の一つだった。それくらい「育ての父」に何か恩返しをしなければ、という思いが強かったのだろう。
「何もしてあげられなかった」という後悔を抱えながら、やなせは製薬会社のサラリーマンとして、奮闘することになる。
【参考文献】
やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』(PHP研究所)
やなせたかし『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)
やなせたかし『アンパンマンの遺書』 (岩波現代文庫)
梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』 (文春文庫)
真山知幸『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)
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