【朝ドラ あんぱん】やなせたかし「育ての親」と悲しすぎる別れ 愛情いっぱいに育ててくれた《伯父の寛》 東京で電報を受け取ったやなせは…

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一緒に暮らすようになり、「お父さん」「お母さん」と呼ぶようにはしていたものの、早くから伯父・叔母のもとへ養子に入っていた弟の千尋のように、2人に甘えることはなかなかできなかったようだ。

それだけに寛から「たかし、どうする。医者の学校へ行く気はないか。学費は出す」と言われたばかりか「病院を引き継いでもよい」とまで提案してくれたことには「そこまで自分のことを思ってくれていたのか」と驚きとともに感謝したに違いない。

医学部に進学する意思はないことを告げながら、やなせが「絵の勉強ができる学校に行きたいんです」と打ち明けると、伯父は「図案をやれば、将来、職業になるんじゃないか」と親身になってアドバイス。先行きが見えなかったやなせの将来を、明るく照らした(過去記事「将来は絵の勉強がしたい…  《朝ドラ あんぱん》モデルのやなせたかし 「育ての親」からの凄い一言」)。

懐が広く、冷静で頼りがいのある「育ての父」――。朝ドラ「あんぱん」では、竹野内豊が好演していることもあり、そんな寛のイメージが膨らむが、やなせは伯父のこんな一面も紹介している。

「伯父であり第二の父である寛は俳句を読み、俳名は朴城。オートバイにサイドカーをつけて田舎道をぶっ飛ばすから相当目立ちました。多趣味な遊び人でしたが、柳瀬家の長兄として一族すべての面倒を見たのです」

仕事もプライベートも全力で楽しむ。そんなエネルギッシュな開業医でもあった寛。やなせも社会に羽ばたいて奮闘する自分の姿を、見守ってもらえるものだと思っていたことだろう。

危篤の知らせにもすぐには行けなかった

だが、東京高等工芸学校工芸図案科の卒業を控えていたやなせのもとに、ある日、こんな電報が高知から届いた。

「チチキトク、スグカエレ」

すぐにでも汽車に飛び乗って帰りたいところだったが、このときにやなせは卒業制作の課題に追われていた。提出しなければ、卒業できない。

「せめて一枚のポスターを仕上げてから、とぼくは思った。そして徹夜で仕上げると、翌日の汽車にとび乗った」

ポスターは不満足な出来だったというが、とにかく急がなければならない。なにしろ、現在のように飛行機はなく、東海道線で大阪まで9時間もかかる。汽車を乗り継ぎながら、東京から高知へと急いだ。

だが、やなせを待っていたのは、あまりに悲しい早すぎる別れだった。

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