
桜田門(写真: shounenb / PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第17回は、老中の田沼意次について、その財政改革について解説する。
「米中心の経済」から大転換を図った田沼意次
「私が死んだのちも田沼意次を重く用いよ」
田沼意次を小姓に抜擢した9代将軍の徳川家重は、亡くなるときに息子にそう言い残したという。あとを継いで10代将軍となった家治は、そんな父の遺言を守って、側近として田沼意次を重用することとなった。
信頼を寄せられれば、相手も張り切るというもの。幕政を任された意次は、その手腕を大いに発揮する。
意次はどんな政治を行ったのか。8代将軍の吉宗は「享保の改革」によって財政を立て直したが、倹約をして税金を増やすだけでは、経済成長には至らない。
そう考えた意次は、これまでの米を中心とした経済政策から大転換を図り、商品経済を発展させた。銅、鉄、真鍮(しんちゅう)、朝鮮人参など幕府の専売制を拡大したほか、多様な業種で積極的に株仲間を公認。年貢率を上げるのではなく、商品流通を活発化させたうえで、商人を対象にした税を強化した。
具体的には、独占業務に対するお礼として上納した「冥加金」や、業者団体に一定の税率を定めて上納させる「運上金」などが挙げられる。
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