「若いときの給料は安かったですね。私たちのような就職氷河期世代は、特にそうだったでしょう。新卒では満足できる就職ができなくて、何度か転職をして、ようやく今の仕事に就いた感じです。
でも最初の給料が低いと、転職してもそこを基準に給料が決められちゃうんですよね。だから仕事で結果を出して、交渉して、っていう繰り返しです。
後から入る若い人の給料をうらやましく思ってしまうこともあります。今の会社でようやく、結果を出せばちゃんと評価してもらえるという経験ができたので、ありがたいです。
大企業に勤めているわけでもない。学歴がすごいわけでもない。だからキラキラと独身を謳歌しているみたいに思われると正直、違和感があります。
地道に貯金したり、できる範囲で投資をしてきたり、主張すべきところは主張したり。ちゃんとしようと思って生きてきた。そんな地味な努力の賜物(たまもの)です(笑)」

澤さんが東京に出てきたのは30歳目前。当時はずっと不安だったという。
「大阪から東京に来ようと決めたときも、確かな自信があったわけではなくて、『東京の方が、大阪に比べてまだチャンスがあるかも』と思ったからです。
安い給料で東京で暮らして、マッチ箱みたいなワンルームの天井を眺めながら『私は将来どうしたいんだろう?』と不安に押しつぶされそうになっていました」

彼女はいわゆる“ロスジェネ”として、そんな厳しい30代をサバイブした。
「ちゃんと生きてきただけ」と彼女は言うが、その“ちゃんと”を積み重ねて、見えなかった未来を、少しずつ手繰り寄せてきたのだ。
本来なら、もう少し楽にたどり着けたかもしれない場所。けれど、厳しい道のりを自分の足で歩いて手に入れたからこそ、この部屋にはどこか研ぎ澄まされた空気がある。
「ちゃんと」は暮らしのなかから生まれる
大げさなことをしているわけではないと、澤さんは言う。
「貯金だって、コツコツしかできないですし。でも、猫や鉢植えの世話をしたり、ご飯をつくるとか、そういうことを毎日続けている先にあるのが“ちゃんと”だと思うんです。
私はダラダラするのがあまり好きじゃなくて、ぼーっとするよりは、編み物をしたり手を動かしている方が、頭がスッキリするんですよね。それすらできないほど疲れていたら、もう早く寝ちゃいます。私、寝るのが早いんですよ」
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