「やっぱり生涯現役がいい」、引退宣言を3日で撤回した《87歳のバッグ職人》。娘は「仕事を取り上げたらあかん」と実感するが葛藤の日々
千里さんは、この先どうすべきか、悩みに悩んだ。
「がま口バッグの生産をこれまで父頼みにしてきたけれど、それじゃいけないなと痛感しました。この先も『G3sewing』というブランドを守り続けるために、父がやってきた仕事やその想いまでも家族で引き継いでいきながら、少しずつ少しずつ、上手にフェードアウトしてもらう形が一番いいんやろうなと」
それからは、介護職をしていた長女の法子さんにもメンバーに加わってもらい、縫製などをサポートしてもらうように。千里さん自身も斉藤さんからすべての製造工程の技術継承を終わらせ、いつ引退の瞬間が訪れてもいい体制を整えていった。
斉藤さんはリウマチの痛みが強まると、がま口の金具を1つ、2つはめては、すぐにベッドで横になる。そんな状況が続いていた。
引退宣言したら、急に認知症気味に…
「おじいちゃん、もう引退しよか?」
千里さんも斉藤さん自身も、これ以上、仕事を続けるのは無理そうだと悟った2024年12月のこと。千里さんは母・陽子さんとも話し合い、翌年からこれまで斉藤さんの自宅にあった「G3sewing」の工房を自身の自宅に移すと決めた。
斉藤さんには体調のいい時だけ、がま口の金具をはめてもらったり、SNSに登場してもらったりして、あとはゆっくりと過ごしてもらう。
そう、本人も納得していたはずだった。
ところが、引退宣言をして3日後のこと。斉藤さんの様子がみるみるおかしくなった。
「急に魂が抜けたかのように、顔から表情がなくなって、目もうつろに。認知症になっちゃったのかと心配になりました。ネガティブなことばかり言い出して、うつっぽい感じにもなったんです。
『G3sewing』を始める前の、あの悪夢のようなうつ状態に戻ってしまったんやないかと、背筋が凍りました」
父親から仕事を取り上げたらあかん。働かないと急激に弱る……。「G3sewing」が父にとって、どれほどかけがえのないものだったのか? いかに“生命線”となっていたのか? 思い知らされたと千里さん。
「父には『やっぱり生涯現役でいこう。工房は移転せずに、そのままにしよう』と伝えました。朝起きてごはんを食べたらすぐ職場。疲れたり、痛みが出たりしたら、すぐに寝て、元気が出たらまた仕事をする。
『いっそ、がま口はめながら、死んでいこうや(笑)』って話すと、父の表情に生気が戻ったのです」
こうして斉藤さんの引退宣言は、3日で撤回。またいつもの「G3sewing」の日常を取り戻した。

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