高校3年のときには同人誌即売会に参加し、オフセット本やコピー本を熱心に制作・販売した。
「とりあえず美術系の短大に進学しました。ただ、同人誌の原稿を描くのに徹夜してたので、授業中は寝てました。でも短大はすぐに退学することになりました。母に新聞記事を見せられたんです」
それは、杉並区が「杉並アニメ匠塾」というアニメーター養成事業を始めるという記事だった。
「アニメーターがどんな仕事なのかもよくわかっていなかったんですけど、絵を描く仕事ならやってみようかなと思って、応募しました」

1次選考を通過したのは57人。その中から、最終的に合格したのはわずか4人だった。審査では
「今まで描いた絵をすべて持参する」
という条件があり、山のようなイラストや同人誌のコピーを持って臨んだ。
審査員は、杉並区の職員とアニメ制作会社3社の社長たちだった。テレビの取材も入っていたという。
「運よく合格して、プロダクションに配属されました。後から聞いた話なんですが、配属先は“あみだくじ”で決めたらしいです(笑)。アニメ業界って、昔からそういういい加減なところがあるんですよ」
会社に所属して最初の3カ月間は、いわゆる“修行期間”だった。
「“瞳”をトレースする課題が出されたりしてました。単純な丸い瞳ですら最初はうまく描けなくて、先輩に『違う』って言われては、何度も描き直しました。
修行期間が終わると、少しずつ仕事を任されるようになっていきます。私が最初に関わったのは、線が少なくてゆるい感じの『あたしンち』でしたね」
1枚の単価が200円。そこから“机代”として2割引かれる
ようやくプロとしての第一歩を踏み出したものの、すぐに生活できるほど甘い世界ではなかった。
「最初の給料は1カ月で1万2000円でした。1枚の単価が200円くらいで、そこからさらに2割“机代”として引かれるんです。アニメーターは全員フリーランスで、会社の机を借りているという扱いなんです」
仕事ができるようになれば稼ぎは増えるが、その単価が200円では当然、一人暮らしはできない。いとうさんは、横浜の実家から往復3時間かけて通った。
アニメーターの仕事は不規則で過酷だった。始発に乗って家に帰り着くのが朝の9時。やっと寝れるが、昼過ぎには会社に戻って仕事をしていることが多かった。
「基本的にあまり眠れないですね。土日も休まずに働いてました。1日10枚描ければいいほうで、どれだけ頑張っても月収10万円に届かないんです」
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