そのような状況を乗り越えて医学部を目指した林さん。アルバイトは高校3年生の5月末には辞め、最後の1年は受験勉強モードに切り替えます。第1志望は、国際医療福祉大学の医学部に決めました。
「夢が海外で働く医師になることだったので、6年生になったら4週間以上、海外臨床実習がある国際医療福祉大学に行きたいと思っていました。国公立は模試ですべてE判定で、5教科7科目をやり切るのが厳しいと思ったので選択肢にはありませんでした」
国際医療福祉大も順天堂も不合格
そのほかにも、学費が安い私立大学の医学部を併願先として探し、順天堂大学の医学部も候補として考えていました。
しかし、目標は高かったものの、一度下がった成績は簡単に上がることはなく、高校3年生の直前に受けた模試の偏差値は49ですべてE判定。共通テストも63%にとどまり、現役では結局、国際医療福祉大学医学部と、順天堂大学医学部の2校だけ受験して、どちらも不合格でした。
「自分自身に傲慢なところがあったと思います。今までそこまで勉強してなくても成績が取れたし、自分ならいつかスイッチを入れれば、変われると思っていました。でも、勉強したらどれだけ成績が上がるかも何もわかっていませんでした。医学部がどれだけ難しいかも体感できていなかったですし、無謀な挑戦だったのです」
林さんはこの結果を受けて浪人を決意します。その理由を聞くと、「医師になるのが自分の夢だったから」と答えてくれました。
「医師以外にやりたいことを考えても何もありませんでした。漠然と、もう1年頑張ってみれば合格できるんじゃないかと思っていて、落ちる前から家族と、『落ちたら浪人する』と話していました」
こうして1年目は予備校に通うお金がなかったために宅浪を選択します。
しかし、この年の平均勉強時間は2時間以下で、どこの大学の模試の判定もEのまま。理科系と地理の成績は少しだけ上がり、共通テストの結果も68%と微増したものの依然としてきびしい結果でした。
国際医療福祉大学は気づいたころには出願が終わっており、この年は順天堂大学医学部だけ受験して不合格でした。
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