不景気で仕事がうまくいかず、工務店を畳み、母の希望から中華料理屋を開業することにした。
ラーメンや定食などを出すいわゆる町中華的なお店だった。大山さんは友達を店に呼んで、よく料理を食べていた。
豪華客船のコックに憧れ、洋食の料理人を目指そうと調理師学校に入る。その後、フレンチのお店で7年、イタリアンのお店で3年働いた。
ちょうど30歳になる頃、横浜にある友達の家に遊びに行ったついでに、横浜家系ラーメンの老舗「近藤家」のラーメンを食べた。このラーメンの美味しさに衝撃を受ける。
「この頃、店をたまに手伝っていて、出前にもよく行っていたのですが、たびたびお客さんにひどい扱いを受けたりして落ち込んでいました。出前をやめて、お店に食べに来てもらえる料理を出せないかと考えた時に、ラーメンに集中できたらいいなと思ったんです。スープにも興味がありましたし、ラーメンを勉強しようと決意しました」(大山さん)
「近藤家」で修業させてほしいとお願いに行くが、この時募集はなく、30歳を過ぎていたこともあって断られてしまう。しかし、しばらくしてから懲りずにまた食べに行くと、店主から声をかけられ、働かせてもらえることになる。こうして大山さんの修業が始まった。
寸胴一本で勝負をかけるラーメン

「近藤家」ではまずお客さんのオーダーを丸暗記するのが大変だった。ラーメンの種類、麺のかたさ、味の濃さ、油の量をすべて丸暗記しておかなければならないのだ。
「流し」といって順番に注文を聞いていく作業があるのだが、ここで忘れてしまうと大変なことになる。ラーメン作りの前に、まずは家系ラーメンならではのこの作業にとても苦労した。
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