「思考や感情」も物理法則によって説明できるのか 「自由意志」と決定論的で機械論的な科学の関係
彼の最近の著作に収められたこの一節に私が初めて出会ったのは、朝食を作りながらツイッター(現X)の投稿をスクロールしているときだった。
私の両手を凍りつかせたのは(料理と画面のスクロールを同時にやるのは危険だ)、グリーンの著作の愛読者によるその投稿自体ではない。それに対するグリーン本人の次のような返信だ。
「生命や心を分子レベルまで還元しても、生命や心が軽視されることなどけっしてなく、逆にどちらの価値も高まる。素粒子が成し遂げることのできるこの驚くべき見事な事象の数々を見よ」
以前観た動画の中でグリーンは次のように論じていた。物理学にとって自由意志は必要ないのだから、私たちにも必要ないはずだ。そして現在の物理学によって、この宇宙は十分にエレガントに記述できる、と。
しかし、私たちは何ものであってなぜ存在するのかという疑問に対して、歴史上のこの瞬間に物理学が究極の答えを出してくれるなんて、誰が本当に信じられるだろうか?
すべては初めから決定されている?
一歩下がって、自由意志と現在の物理学の対立に光を当ててみよう。一般的に自由意志は、あなたの現在の状態や歴史とは関係なしに、自らの自由裁量で行動する能力とみなされている。
しかし少なくとも現在の理解によれば、物理法則によって記述される宇宙は、初めから完全に決定されている。あらゆる出来事が文字どおり、素粒子と場のダイナミクスによって展開する。
あなたの思考や感情が、あなたを含む現実に影響をおよぼすことはいっさいない。自由意志の余地は存在せず、あなたに関する事柄はすべて、この宇宙の初期状態によって完全に決定されている。これで話は終わりだ。いや、はたしてそうだろうか?
多くの科学者は、どのような原因作用も現実のもっともミクロな物理的階層、すなわち素粒子の根源的スケールで起こるとみなしている。そのため、大スケールにおいて、より高次の原因作用とでも呼べるものが生じる余地はない。
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