「思考や感情」も物理法則によって説明できるのか 「自由意志」と決定論的で機械論的な科学の関係

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たとえば、私たちがこの宇宙と意味のある形で関わることはいっさいできない。あなたは自分の思考が自分の振る舞いをコントロールしていると考えているかもしれないが、グリーンが言い切ったとおり、それに対しては次のように反論できる。

思考も実際には、何千個ものニューロンの相互作用から創発する情報のパターンにすぎない。その個々のニューロンも、相互作用し合う何万個もの分子でできていて、その分子一つ一つもまた原子の集合体であり、その原子もさらに素粒子から構成されている。そしていずれも(既知の)物理学に従っている。

このように思考は、特定の化学物質やニューロンの配置が取る一つのパターンであって、素粒子レベルにおけるもっとも基本的な原因作用に還元できる。

物理法則が十分な説明力を備えていて、現実を構成する低レベルの存在に何が起こるかを記述できるとしたら、あらゆる現実を物理法則だけで説明できてしまうだろう。物理法則以外の事柄は、その法則の制約下で起こる結果にすぎないのだ。

統制には「行為主体」が必要

心の哲学を研究する著名な哲学者のダニエル・デネットは、評論『無理な相談と自由意志のインフレーション(Herding Cats and Free Will Inflation)』の中で、この緊張関係に関する示唆に富む一つの例を挙げ、原因作用と統制(コントロール)の大きな違いを指摘している。

その例で注目するのは、同じ山を駆け下る岩とプロスキーヤーの違いである。デネットいわく、その岩は"統制されていない"。その軌道は物理法則で決定されるが、統制されてはいない。

一方、スキーヤーの軌道も物理法則で決定されるが、スキーヤーは統制されている。自分の決断、スキル、体力、およびスキー板の状態がすべて、スキーヤーの軌道の決定に関わってくる。

このように、原因作用と統制は同じものではない。すべての事柄には原因があるが、原因のあるすべての事柄が統制されているわけではない。統制には行為主体(エージェント)が必要である。

行為主体はフィードバックによってプロセスを統制することができる。すなわち、軌道と条件に関する情報を用いて、その作用を制御できるということだ。行為主体は進化と学習によって自己統制を獲得し、それによって自身や環境のいくつかの側面も統制することができる。

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