「ほっかほっか亭」成功掴んだ創業者の驚く選択 「先が見えない生き方のほうがはるかに楽しい」

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窮状を打開するために、内モンゴル王族に紹介された乳製品「ジョウヒ」を「醍醐味」という名で売り出した。評判を呼び注文が殺到するが、牛乳を入手するのが困難で、生産が追いつかない。

ならば、と脱脂乳を乳酸菌で発酵させた飲料「醍醐素」や、ほかにも乳酸品を使った製品を次々と打ち出すが、売れ行きが芳しくなく、負債を抱える羽目になってしまう。

それでも乳製品の可能性を信じた三島。信念の言葉がこれだ。

「商品は売れなかったが、乳酸菌の素晴らしさが損なわれたわけではない」

研究を重ねた結果、日本で初めて本格的な乳酸菌飲料「カルピス」を発売したのは、三島が42歳のときである。醍醐素に何気なく砂糖をいれると味がよくなったため、さらに不足がちなカルシウムを加えて、カルピスは誕生した。

いつ人生を諦めてもおかしくない失敗だらけの三島の人生。だが、トライし続けたことで、大きな成功をつかんだ。

日本酒需要減に直面し、打って出た策

・「変化に臆してはいけない。伝統は時代ごとの革新の積み重ねで生まれる」(久保順平)

久保本家酒造は、1702年に奈良県宇陀市で創業され、300年の歴史を持つ蔵元。

11代目に当たる久保順平は、家業への抵抗感があったため、金沢大学を卒業後、大和銀行(現:りそな銀行)へ就職。酒造とは関係のない金融業へと身を置いた。

だが、入行4年目のロンドン赴任をきっかけに、自国の文化を十分に説明できない自分に違和感を持ち始める。1990年に帰国してから5年後、銀行を退社して、伝統のある日本酒製造を継ぐことを決意した。

ところが、そこで直面したのは、日本酒需要の減少だった。日に日に減っていくメーカーとの契約に危機感を募らせた久保は、大胆な対策に打って出る。

それは、従来の倍以上の手間と時間を要する、江戸時代に始まる伝統的な生酛造りの導入である。職人が次々と離れていってもブレることなく、改革を断行した久保の信念がこれだ。

「変化に臆してはいけない。伝統は時代ごとの革新の積み重ねで生まれる」

その結果、キレ味が冴えて、しかもコクのある酒造りに成功。マスコミにも取り上げられ、固定ファンを獲得することになった。

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