「渡来人」は意図的につくられた概念といえるワケ 日本古代の文献で用いられた言葉ではない

(写真:masa/PIXTA)
近年発表された古代人のDNA解析の成果により、古墳時代の人びとの25%は朝鮮半島からの移住者であることが明らかになり、歴史教科書で学んだ「渡来人」をとりまくイメージは一変しています。これは、日本の文化の成り立ちにも関わってくるトピックです。
日本史研究で多数の実績がある武光誠氏の著書『渡来人とは何者か』では、金沢大学や理化学研究所が発表した最新論文を示し、古代からの日本と大陸の関係を丁寧にひもときながら、『日本書紀』などに記された伝説的要素と史実を可能なかぎり整理し、従来「渡来人」と呼ばれた人びとや「渡来系」を自称する豪族の素性、渡来時期、ヤマト政権での足跡を明らかにしています。
古代人のDNA解析から解明された「渡来人」の正体とは何か? 本当に技術者や知識人の集団だったのか? 実像と虚像がないまぜになった「渡来人」をめぐる古代史の輪郭はどのように形成されてきたのか? 書籍『渡来人とは何者か』より、鮮烈な序文から1万5000字を一挙掲載します。
前回記事:『歴史教科書で学んだ「渡来人」の本当の正体』
人間が重んじられた縄文時代の社会
日本史の研究者の多くは、このように考えている。
「縄文時代に、日本文化の原型がつくられた」
縄文人はあらゆる自然物に精霊(霊魂)が宿るとする精霊崇拝(アニミズム)の考えに立って、独自の縄文文化を育てた。かれらは、自然界に、目に見えない無数の精霊がいると考え、雨、風などの自然現象は、精霊たちの力によって起こると信じていたのだ。
そのため縄文人は、山の神、海の神、太陽の神、雨の神、風の神などの多くの神々を祀(まつ)った。このような信仰は、そのまま現代の神道に受け継がれた。日本の文化は、縄文的な神道思想のうえに発展してきたのである。
しかし縄文人が、そのまま日本人になったわけではない。縄文人は多くの移住者を自分たちの仲間として取り込んでいって、古代の日本人となった。あとに記すように、新羅が主導した朝鮮半島統一の動きのなかで、徐々に「ヤマトの民(日本人)」といった意識がつくられていった。
トピックボードAD
有料会員限定記事
キャリア・教育の人気記事
無料会員登録はこちら
ログインはこちら