「渡来人」は意図的につくられた概念といえるワケ 日本古代の文献で用いられた言葉ではない
人間が重んじられた縄文時代の社会
日本史の研究者の多くは、このように考えている。
「縄文時代に、日本文化の原型がつくられた」
縄文人はあらゆる自然物に精霊(霊魂)が宿るとする精霊崇拝(アニミズム)の考えに立って、独自の縄文文化を育てた。かれらは、自然界に、目に見えない無数の精霊がいると考え、雨、風などの自然現象は、精霊たちの力によって起こると信じていたのだ。
そのため縄文人は、山の神、海の神、太陽の神、雨の神、風の神などの多くの神々を祀(まつ)った。このような信仰は、そのまま現代の神道に受け継がれた。日本の文化は、縄文的な神道思想のうえに発展してきたのである。
しかし縄文人が、そのまま日本人になったわけではない。縄文人は多くの移住者を自分たちの仲間として取り込んでいって、古代の日本人となった。あとに記すように、新羅が主導した朝鮮半島統一の動きのなかで、徐々に「ヤマトの民(日本人)」といった意識がつくられていった。





        
        
        
      
        
      
          
          
          
          
        
        
        
        
        












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