「渡来人」は意図的につくられた概念といえるワケ 日本古代の文献で用いられた言葉ではない

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しかし、これは、確実な根拠のない乱暴なものだった。このような「日鮮(朝)同祖論」に立つ「帰化人」の評価の代表的なものとして、有力な哲学者で東京帝国大学教授の和辻哲郎(わつじ てつろう)氏の説を挙げよう(『日本古代文化』岩波書店刊)。

和辻氏は、古代の朝鮮と日本は彼我(ひが)の差別が少なく、国家意識は稀薄(きはく)で相互の混血もきわめて多かったという。だから帰化人は優遇され、日本国民にたやすく同化融合されたとかれは主張した。

(画像:『渡来人とは何者か』より)

しかし、日本と朝鮮半島南部の国々の文化は、邪馬台国(やまたいこく)の時代にあたる三世紀の中国東方の国々について記した『三国志(さんごくし)』の時点で、かなり異なっていた。

戦前の、大陸への進出を正当化する政治的意図をもってつくられた「帰化人」という言葉は、戦後も用いられてきた。ところが1960年代末ごろになると、一部の日本古代史の研究者から、

「『帰化人』は、古代の朝鮮半島の住民を差別するものではないか」

とする主張がなされた。

「渡来人」のイメージがつくられた経緯

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そのため、1970年代に入ると「渡来人」の言葉を用いる研究者が増えてきた。さらに、何人かの作家や日本古代史の研究者が、古代日本の「渡来文化」の素晴らしさを宣伝(せんでん)する本を意欲的に発表した。これによって「高度な文化をもつ渡来人」という漠然とした心象(しんしょう)(イメージ)がつくられていったのである。

しかし、「渡来人」とは、一部の日本古代史の研究者によって意図的につくられた概念である。

次項では、「渡来人」という言葉に対する私の疑問を述べておこう。

武光 誠

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1950年、山口県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院博士課程修了。文学博士。2019年に明治学院大学教授を定年で退職。専攻は日本古代史、歴史哲学。

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