海運のキーワード「内航船」とは一体なにか? 歴史ある「山形県酒田港」に見る地方港の復権

✎ 1〜 ✎ 56 ✎ 57 ✎ 58 ✎ 59
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

最上川を改修して酒田港を分離する大工事が、1919年(大正8年)に10カ年計画として着工された。これにより、酒田港は海湾港となり、多様な企業が進出する。

たとえば、1937年(昭和12年)に鐵興社(現・東北東ソー化学)酒田大浜工場が設立。また、1940年(昭和15年)には、日本有機(現・花王)酒田工場が設立されるなど、酒田に工業近代化の流れが生まれた。

こうした酒田の港を、現在の「みなとオアシス酒田」がある地域を含んで、本港(ほんこう)と呼ぶ。

冒頭で示した写真はまさに「本港」で、その名のとおり酒田港の中心を担う(筆者撮影)
冒頭で示した写真はまさに「本港」で、その名のとおり酒田港の中心を担う(筆者撮影)

戦後は、高度経済成長が進む中で、本港の拡張性に限界が見えてきたため、本港の北側、約3kmの場所に新港の開発計画が立ち上がる。これを、北港(きたこう)という。

港湾審議会は1966年(昭和41年)、酒田港拡張計画―北港開発(酒田臨港地域開発計画)を決定する。海岸線を掘り込み、そこで発生した採掘土砂で新たな工業用地を埋め立てて、同時に防波堤を新設するという、高度経済成長期ならではの大胆な発想だ。

北港が完成すると、山形県内で消費される電力の約半分を担う、酒田共同火力発電の火力発電所が設置されたほか、平成15年には リサイクルポートの指定を受け、北港周辺にはリサイクル関連企業が多く進出するなど、酒田港の次世代化が始まった。

外航商船7割の国際ターミナルへ

平成以降には、韓国・釜山港との間で外貿定期コンテナ航路が開設し外港地区は国際ターミナルとしての位置付けになっていった。

2023年(令和5年)の入港船種別表によれば、入港船舶の隻数は1905隻。このうち、漁船が全体の約半分となる951隻、内航商船が約2割の394隻、そして外航商船が約1割の198隻数であった。総トン数で見ると、外航商船が7割強を占める状況だ。

次ページ物流の2024年問題をチャンスと捉えて
関連記事
トピックボードAD
自動車最前線の人気記事