しかし怖さはまだ残る。本人と見分けがつかないAI故人は、前情報がないと受け取る側が故人とAI故人を判断しきれない。生成されたAI故人がどれだけ安全だとしても、受け取る側には騙される怖さがつきまとう。
冒頭で紹介した男性のAI故人映像は通夜式で初めて披露されたと先に書いた。その日はAI生成された故人であることを説明したうえで公開したが、翌日の葬儀告別式では、依頼者の意向であえて詳細を触れずに映像を流してみたそうだ。
すると会葬者の反応に違いが出た。祭壇の遺影写真が動画に切り替わったとき、会葬者から驚きの声が上がったのは変わらない。しかし、「AIという文言を入れないほうがより感動されていたというようなお話は聞いております」(小川氏)という。
告別式後に会葬者に尋ねると、生前に録画した映像を流していると捉えていた人が多かった。当然だ。後から事情を知らされたとき、騙されたという思いを抱いた人も少なからずいたのではないだろうか。
2019年年末の紅白歌合戦で披露された「AI美空ひばり」は本人の歌唱テクニックを忠実に再現しており、その品質は十分に鑑賞にたえうるものだった。しかし、曲間の「お久しぶりです。あなたのことをずっと見ていましたよ」というせりふが評価を著しく下げてしまったように思う。
悪意はない。それでも人を騙せるだけの品質でAI故人が作れるようになった現在は、本物と生成物の区別がつけられるように提供する側が細心の注意を向けたほうがよいだろう。これは不気味の谷を越えた先にある問題といえる。
ニッチをキワモノにしないために
残された側とAI故人を提供する側が手を加えていいライン、受け取り側に説明すべきラインの解像度は、おそらく場数を踏まないと上がらない。
故人が別れの手紙を残したとしても、声量のバランスや微笑むポイントなどの演出をどこまで許容するかといった問題もあるし、AIが解釈した故人の振る舞いの正当性を誰がどうジャッジするのかといった問題もある。また、AI生成される本人の意志確認問題も今後より重要になってくるだろう。
デジタル故人がニッチながらも社会で居場所を作っていくには、そういった問題を吸い上げて、論議して、コンセンサスを作っていく仕組みが欠かせないだろう。
小川氏は、社内の倫理委員会をやがては業界全体に広げていく構想もあるという。2040年、AI生成技術は桁違いの進化を遂げていそうだ。しかし、故人を取り巻く倫理面はどうか? ニッチをキワモノとせず、ひとつの選択肢として大切に育てていく未来が見てみたい。
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