「奄美にあるハブ屋」が3世代に渡って続く背景 時流読み変化続けるハブ屋のビジネス(前編)

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

高校卒業後、武広さんは建築関係の仕事に就いたが、一念発起して大学受験に挑戦。しかし、合格はかなわなかった。そんなとき、武広さんに母親から連絡があった。

「車を買ってあげるから帰ってこない? と言われました。ハブ屋は体力的にきつい仕事です。どうしようかなと迷ったけれど、結局、車に釣られて帰りました」(2代目・武広さん)

帰郷後は、父・宮哉さんから乾燥ハブの製造やハブ皮のなめしを教わり、少しずつ仕事に慣れていった武広さん。1989年には2代目を継いだ。父の代からの得意客の要望に応えていれば家族が食べていけるくらい経営は順調だった。

「ハブの扱いや皮のなめしなど父の仕事を覚えるので精一杯。仕事の帰りに屋仁川(奄美市の繁華街)に飲みに行ければいいと思っていたし、そんなに向上心もなかった」と本人は謙遜するが、いまも提供しているハブのショーやハブ骨を活用したブレスレットは武広さんが考案したものだ。

「ショーは、ホテルに勤めていた友人から結婚式や本土から来た学校の先生の歓迎会でハブを見せてもらえないかと言われて始めました。好評だったし、1回の出張費も少しずつ上がっていったけれども、外にハブを持ち出して逃げたりしたら危ない。それで出張はやめて、1989年から原ハブ屋のガレージでショーをするようになりました」(2代目・武広さん)

観光客から人気を集めたハブショー

ショーは1回30分。ハブを殺すのは嫌だった、という武広さんはマングースを使わず、ハブやほかのヘビだけを使って奄美の自然や文化を楽しく学べる内容を考えた。武広さんの軽妙なトークで、ショーは次第に観光客や帰省客の人気を集めるようになった。

奄美 ハブ屋
ハブを使ったショー「ハブと愛まショー」で説明をする2代目の原武広さん。笑いあり、学びありのトークに引き込まれる(写真:筆者撮影)

その後、武広さんは卸を継続しながらも、自社商品を自分たちで販売する製造小売業への転換を目指す。奄美市中心部の店を奄美空港から車で10分ほどの同市笠利に移転することを決め、新店舗の建設を始めた。

ところが、新店舗建設のための借り入れを機に、店の経営状態が悪化した。武広さんがSOSを出したのは大学を卒業して福岡で働いていた長男、武臣さんだった。

後編:「奄美にあるハブ屋」使用禁止Xデーに向けた対策
横山 瑠美 ライター・ブックライター

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

よこやま るみ / Rumi Yokoyama

鹿児島県在住。印刷会社を経て、2017年にブックライターとして独立。ウェブメディアや雑誌ではビジネス、事業承継、地域、医療・健康、SDGsなどのテーマで執筆。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事