「奄美にあるハブ屋」が3世代に渡って続く背景 時流読み変化続けるハブ屋のビジネス(前編)
奄美大島にはかつて、この“厄介者”のハブの加工品を扱う、通称「ハブ屋」が何軒もあったという。
「買い上げ事業で自治体が住民から買い取った駆除ハブは血清をつくるために毒を採取され、冷凍したのち焼却されます。しかし、捨てるのはもったいないと、ハブ屋が自治体から買い取り、さまざまな加工品にして販売してきました」
こう語るのは、奄美大島にいまも残る3軒のハブ屋のうちの1軒、「原ハブ屋」の原武臣さん。原ハブ屋の初代・原宮哉(はら みやさい)さんの孫で、現在2代目社長を務める原武広さんの長男である。
主力商品は乾燥ハブ、ハブ粉末、ハブ油
原ハブ屋の創業は、買い上げ事業が始まる6年前の1948(昭和23)年。当時30歳の宮哉さんは義父から乾燥ハブの作り方を教わり、本土の業者に卸すようになった。乾燥ハブとは、ハブを丸ごといぶして乾燥させたもの。粉末にして飲むと滋養強壮に効果があるとされている。
「創業当時は乾燥ハブ、ハブ粉末、ハブ油の製造と卸をしていたと聞いています。1960年代後半からはハブ革製品の製造にも力を入れ始め、なめし職人を複数人抱えていた時期もあったそうです」(長男・武臣さん)
現在2代目社長を務める原武広さんは、宮哉さんの長男で、高校時代から父のハブ捕りを手伝うようになった。当時は自治体から買い取った駆除ハブだけでなく、自分たちで捕ったハブも加工品の原料にしていたという。
「夜、山の中にわざわざ捕りに行くんですよ。最初は怖いから車の中で待っていたんだけど、ハブ捕りは6時間もかかる。車内で1人で待つのも怖くてね。それで親父に付いていってハブ捕りをするようになりました。慣れると面白いのよ。狩猟本能が刺激されてね」(2代目・武広さん)
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