軍師「黒田官兵衛」も読めなかった"我が子の行動" 頭が良すぎるために秀吉すら警戒した軍師
ただ秀吉、若干冷静になったときに、「こいつあの状況で天下のことを考えちゃう。頭良すぎなんだよ」「何手も先を読んで計算できてしまう」「頭良すぎてめっちゃかわいがってたけど、逆にこえーな」「天才すぎて、なんか嫌なんですけど」などと思うようになりました。天下を口にしたせいで上司である秀吉に避られるようになってしまうのです。
「だったらもういいや」と、官兵衛も息子に黒田家を任して隠居してしまいます。
10年ぐらい隠居生活を送っている間に、秀吉が死んで、関ヶ原の戦いが勃発します。静かに隠居生活をしていた官兵衛ですが、天下を口にしたせいで秀吉さんには嫌われちゃったけど、「秀吉さんがいなくなった今こそ、俺が天下を取ろうじゃないか」と立ち上がったとされます。
豊臣方と徳川方どちらも非常に強い勢力ですから、お互い潰し合って、泥仕合になって、最終的には徳川が勝つと思うけど、かなり徳川もダメージを受けているはずだ。その疲弊し切った徳川をぶっ潰して、「天下を取ろうじゃないか」。そういう作戦を立てたようなのです。
優秀な軍師の大誤算とは?
ただ、家康に疑われることがないように、息子である黒田長政を徳川方として参戦させます。官兵衛にとって、長政は出来の悪い息子だったので、とりあえず参戦させておけばいいと考えたのでしょう。
ところが、いざ関ヶ原の戦いが始まると、たった一日であっさりと戦が終わってしまいます。戦で弱っている徳川をぶっ潰して天下を取ろうと思っていた官兵衛にとっては大誤算でした。
その原因が、後の世では「天下の裏切り者」と呼ばれる、小早川秀秋が豊臣方から徳川方に急に寝返ったことです。そして、この小早川秀秋の寝返りを画策したのが、ほかでもない息子・長政だったのです。
「こいつ何やっても使えないな」と思っていた息子がめちゃくちゃいい働きをしたせいで、天下取りの夢が潰えてしまった。頭のいい官兵衛の誤算が、「息子が大手柄を立てた」こと。なんて運がない! 官兵衛、本当に「天下に翻弄されている男」なんですね。