「第九といえば年末」ではない?欧州の意外な反応 ヨーロッパ人が一番に思い浮かべるものとは?

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ウィーン楽友協会
第九200周年記念コンサートが行われた、ウィーンフィルの本拠地ウィーン楽友協会(写真:筆者撮影)
ウィーン演劇博物館 エロイカの間
交響曲第三番「エロイカ」が初演されたウィーン演劇博物館「エロイカ・ホール」(写真:筆者撮影)

まず第九の誕生から見ていきたい。

第九の誕生と初演の興奮

ベートーヴェンが、ドイツの詩人フリードリッヒ・シラーの「歓喜の歌」に出会ったのは、1786年、15歳の時とされている。

ウィーンに活動の拠点を移動したベートーヴェンは、「歓喜の歌」に曲を付ける構想を抱き続け、1817年から9年をかけて第九を完成させた。第一楽章から第三楽章まではオーケストラ演奏のみで、第四楽章が「歓喜の歌」を歌詞として合唱が歌い上げる、最も有名な部分となる。

初演の地は、現ウィーン国立歌劇場の前身となるケルントナート-ア劇場だった。

当時プロのコンサートオーケストラが存在しなかったウィーンで、1回の演奏会のためだけに多数のメンバーを集めるのは至難の業だった。だが、劇場常任オーケストラ、宮廷音楽家からアマチュア演奏家まで、一夜のためにウィーン中から演奏家を集めて実現した。

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