33歳から「5浪で大学院」目指した彼の強い決意 大学も2浪で合格、数々の学び経た彼のその後

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1浪目の受験が終わるころには「2浪する気満々だった」と語る鷲北さん。この年は予備校の授業についていけないと思い、自宅浪人を選択します。

最初に受けた模試では偏差値50と今までで一番の結果だったものの、前年同様、夏までは勉強に前のめりになれませんでした。そんな彼を変心させたのは、早稲田に合格した友人でした。

「舞岡高校時代の友人が母校初の早稲田合格者になったのです。彼に勉強法を聞いたら、日本史の参考書を渡されて、『質問してみ?』と言われました。そこで8代将軍吉宗が何をやったかを聞いたら、やったことと、それが教科書の何ページのどの場所に書いてあるかまでズバリ答えられたのです。

彼はどの科目の参考書でも、何ページのどの場所に何が書いてあるかを正確に言えたんです。そんな彼に『お前、甘すぎるんだよ』と言われて、これだけ勉強しなければ受からないんだと目覚めることができました」

自分の弱さと甘さを認めて猛勉強

横浜翠嵐高校に行った友人も横浜市立大学の医学部に現役で進んだことを聞き、ようやくすべてを犠牲にして勉強をする決意が固まった鷲北さんは、高校の友達を集めて「俺はバカだ!」と宣言します。

自分の弱さ・甘さを認めた彼は、1つの参考書をボロボロになるまで何度も何度もやり続け、1日平均15時間勉強しました。その甲斐あって、この年の最後に受けた模試の偏差値は60まで到達します。

濱井正吾 浪人 大学院
鷲北さんが使い込んだ教科書と新品を比較(写真:鷲北さん提供)

共通1次試験の過去問でも7割以上の得点が取れるようになり、今年こそしっかりと実力がついたと思った鷲北さん。しかし、4回目の共通1次試験は、前年度からさらに問題が難しくなったために現役時と同じ程度の点しか取れず、方針の転換を迫られることになりました。

「2浪目はさすがにどこかしらに行かないとまずいと思って、何かしら専門性のある理系学部を受けたほうがいいと思いました。横国大と早慶の文系学部にも出願したのですが、北里大学の海洋生命学部ともう1校から合格をいただいたことで、気を抜いてしまい、その後の試験では全落ちしました」

こうして鷲北さんは2つの大学に合格し、北里大学への進学を決めて2浪の生活を終えました。

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