33歳から「5浪で大学院」目指した彼の強い決意 大学も2浪で合格、数々の学び経た彼のその後

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「共通1次試験は510/1000点しか取れませんでした。それでも、『こんなにちょこっと勉強しただけで、50%いくんだ!』と思って、勉強をなめてしまったのです。浪人して大学に行けばいいや!と思い、地元の横浜国立大学だけ出願して、不合格に終わりました」

当時の共通1次試験は実施され始めてから2年目。まだ日が浅かったために、問題が比較的簡単だったことに、当時の鷲北さんは気づかなかったそうです。

こうして鷲北さんの現役時の受験は終わり、浪人を決意します。

浪人した理由を聞いたところ、「とりあえず上位校に行きたかったから」との答えが返ってきました。

「父親が横国大の出身だったので、横国大か早慶に行きたいと思っていました。通っていた高校の卒業生は神奈川大や関東学院大に行く人が多く、偏差値25だった自分は現役で受かるわけがないし、もっと上を目指すことを考えると、浪人をするのは当然の選択でした」

「1浪が当たり前の時代だった」こともあり、代々木ゼミナールの国立文系コースに入って勉強を始めた鷲北さん。

しかし、予備校に通って勉強を続けようと試みても、高校時代からの落差で、夏までは抜け殻のようになってしまいました。

「現役までほぼノー勉だった人間なので、予備校に少しは顔を出していたのですが、授業にまったくついていけませんでした。模試の偏差値は相変わらず30くらいで、いいときが35という感じです。授業がわからないことに加えて、高校時代の文化祭のステージの快感が忘れられなくて、楽しかった高校時代を思い出してしまい、勉強に手がつかない状況が続きました」

それでも相変わらず、「子どものころの自分は勉強ができたから、ちょっとやれば人生逆転できるんだ」と思い込んでいたと語る鷲北さん。

思わぬアクシデントで2浪が確定

秋からは、1日10時間程度の勉強は続けていたため、現役のときよりも実力がついてきましたが、施行3回目の共通1次試験では、急に問題のレベルが上がり、それに加えて思わぬアクシデントもあって、惨敗に終わってしまいました。

「ちょうどこの年、付き合っていた子がいたのですが、クリスマスのときにいろいろあって別れてしまいました。そんな中、国語の試験で川端康成の『火に行く彼女』が出題されたんです。別れた恋人が夢に出てくる話で、読んでるうちに感動してしまい、試験では自滅してしまいました」

そのほかの科目もボロボロだった鷲北さんの2度目の共通1次試験の結果は、420/1000点と、前年よりも大幅にダウンします。

この年も横浜国立大学と早稲田、慶応、立教と出願したものの、全落ちで2浪が確定しました。

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