阿闍梨は、中将の道心が深そうであったことなどを宮に伝え、
「『経文などの真意を会得したいという願いを幼い頃から強く持っていながらも、やむを得ず俗世にかかわり公私ともに忙しく日々を過ごしておりまして、ことさらに引きこもって経文を読み習いながら世の中に背を向けて暮らすにしても、おおよそたいしたことのない身で、だれに遠慮しなければならないこともないのですが、自然と怠りがちになり、俗事に紛れて日を送っていました。けれどなかなか真似のできない宮のお暮らしぶりを人伝に聞きましてから、このように心からお頼りしております』と、それは熱心に申しておられました」などと話す。宮は、
「この世の中をかりそめと悟り、厭う気持ちがきざしてくるのは、自分の身に不幸が起きて、世の中の何もかもが恨めしいと思い知らされるきっかけがあってこそ、求道心も起こるものでしょう。この君は年も若く、世の中は思い通りになり、何ごとも不足はないと思える境遇でありながら、そのように来世まで思いを馳せていらっしゃるのは感心なことです。私の場合は、そうなるべき宿世なのか、ただこの世を厭い離れなさいと、ことさらに仏がそう仕向けてお勧めくださっているような身の上なので、おのずと、静かに修行したいという願いもかなえられていきますが、もはや余命もそう長くはない気がするので、きっちりと悟りも得られずに終わってしまいそうに思います。今までもこれからも、何ひとつ会得できないと思いやられますから、このお方は、かえってこちらが恥ずかしくなりそうな仏法の友になってくれそうですね」などと言い、それから中将とは互いに手紙をやりとりするようになり、中将も宇治を訪ねることとなった。
次の話を読む:12月8日14時配信予定
*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
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