そうした理由から、秋ごろからはもう、中退して再受験する決意を固めていたと語る西村さん。冬に親に中退の意思を告げたとき、「お前は商業高校の出身だから、今から勉強しても静岡大学以上には入れない」と止められたそうですが、都会への憧れと真剣に勉強をしたいという熱意で押し切り、東京で毎日新聞の新聞奨学生をしながら、新聞奨学生が通う予備校・毎日セミナーに通い、受験勉強を始めました。
「今思えば、若かったので、リスクをあまり考えてなかったですね」
今、当時の自分の決断を改めてこう振り返った西村さん。こうして、20歳になる年齢で、西村さんの初めての浪人生活が始まります。
自分を追い込んだ過酷な浪人生活も失敗
朝早く起きて朝刊を配ってから予備校に通い、夕刊の時間帯になるとまた新聞を配りに行って、予備校に戻って勉強をする生活は、あまりの過酷さに「30人いた予備校生が最後は6人しか残らなかった」そうです。
この環境で受験勉強を続けた西村さんは、最初のほうは模試を受けてもどの科目も偏差値40以下だったそうですが、最終的には偏差値50を超えるようになり、立命館大学でB判定を取ることができました。
しかし、立命館大学や関西大学、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)の各大学を受けるも、結局4年制大学にはどこも受からずに全落ちしてしまいます。
西村さんは今、この受験の失敗を「戦略ミス」だと考えます。
「勉強に対する努力は、人生の中でいちばんした1年だったと思います。睡眠時間を削って、ずっと勉強ばかりしていました。ですが、商業高校の出身である私は情報がなくて勉強方法も何もわかりませんでした。
おまけに学力の土台がない状態で、国立を目指して5教科7科目の勉強をしていたので、よほど天才じゃないと1年で間に合うはずがないんです。夏くらいにようやくその現実に気づいて3教科で受けられる私立大学に絞って勉強するようになり、関関同立でC判定くらいの学力はつきましたが、合格には至りませんでした。自分の実力と目指す大学のギャップ、使える時間をしっかり意識できてなかったのが敗因です」
行きたかった大学にすべて落ちてしまった西村さんは、この先の人生をどうしようかと考えて、高校や現役時の大学受験のときのように大学入試の制度についてひたすら調べます。その中である制度があることに気づいたのです。
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