西村さんは大阪府・吹田市で生まれました。父親は大手企業勤務の転勤族であったため、生まれてすぐに東京に行きましたが、3歳で東京から離れて小学2年生までは静岡、小学2年生から高校までは大阪で過ごしました。
また、西村さんがまだ幼いころに父親と母親は離婚しましたが、小学校高学年になると父親は新しい母親と再婚し、新たな家庭を築くことになりました。こうした激変する環境の中で幼少期を過ごした西村さんですが、小学校時代までは勉強に困ることはなかったと振り返ります。
「小学校の通知表は、『よくできた』『できた』『がんばろう』の3つで評価する仕組みでしたが、勉強系はほぼ『よくできた』でした。学年ではおそらく、1~2番の成績だったのではないかと思います」
習い事は一切したことはなかったものの、公立中学校に進んでから最初の定期テストでは400/500点程度をとり、クラスで5/30番程度の成績だった西村さん。しかし、中学で新たに学ぶことになる英語ができずにどんどん成績は下がってしまいました。
英語でつまずき勉強で楽をしたいと思う
「be動詞からつまずいてしまい、いつも定期試験では10〜20点しか取れませんでした。中学2年生くらいからは『さすがにやばいな』と思って英語の対策をするようになり、平均点は取れるようになったのですが、中学3年生の最後のほうで学年でなんとかギリギリ真ん中の成績に残れたくらいです」
成績が上がらずに苦労していた西村さんは、自身が3人きょうだいの末っ子で、兄・姉の大学受験の苦労を見てきたことで、少しでも勉強面で楽ができないかと考えます。
そこで彼は、そこまで受験勉強をする必要のない地元の偏差値45以下の商業高校に進学し、推薦で大学に進学しようと決意しました。
「当時は楽するために、努力しない努力をしようと考えていました。地元の公立高校の大学進学実績を全部調べたときに、商業高校や工業高校からいい大学にたくさん進学していることに気づいたのです。そのため最小限の努力でいい大学に入るため、ほぼ勉強をせずに推薦入試を使って高校に進学しました」
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