入学した商業高校では、受験に必要な科目である英語・国語・数学などの授業はほぼ行われず、簿記や会計などの専門的な科目を週に8コマ程度こなす生活を過ごしました。
高校に入ってからも学校の授業を受けるくらいで、自主的にほぼ勉強らしい勉強はしなかった西村さん。成績は、多少変動はあったものの、ずっとクラスで10/40位程度をキープしていました。
決して悪くない順位で、内申点も高かったそうですが、目指していた関関同立(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)の指定校推薦を取ることはできませんでした。
「関関同立の指定校は、学校で枠が1〜2個しかなく、成績的に難しかったです。そのため、大学のランクを落とすよりは、国立大学に進学したほうがいいかなと思いました。そこで、今度は全国の国立大学の推薦入試を全部調べました。今の自分の評定平均や入試方式などを考慮して、いちばん入りやすかったのが静岡大学の人文社会科学部だったので、ほぼ受験勉強をせずに公募推薦入試を使って合格することができました」
こうして西村さんは、当初の目論見からはややずれてしまったものの、軌道修正をして、ほぼ努力をせずに無事難関大学への合格を勝ち取りました。
しかし、本人にとってもまさかの「浪人生活」はここから始まることになります。
現役で合格するもまさかの浪人生活開始
現役で静岡大学の進学が決定した西村さん。最小限の努力で要領よく生きようとしていた彼にとっては、最高の結果が出たと言えるかもしれません。
しかし、彼の「楽して生きるマインド」は大学生活に興味を持てなかったことで崩壊し、これ以降は高校までとはまったく別の人生を歩むことになります。
静岡大学に進学した西村さんは、最初の1週間しか大学に行かず、1つも単位を取らずに1年生の3月に中退し、浪人生活を始める決意をしました。その理由は、「都会のキャンパスライフに憧れたこと」「社会人になってからボロが出る」と思ったことでした。
「当時はキラキラした都会のキャンパスライフに憧れていたのですが、大学の周囲が田舎だったため、想像していた大学生活とギャップがありました。また、寮で下宿をしていたのですが、周囲にいた仲のいいメンバーがみんな偏差値60後半くらいの地元の進学校の出身だったので、彼らに比べて楽な人生を生きてしまったことを気にするようになったのです。
努力せずに生きてきたので、『この先大丈夫かな、社会人になってからいずれボロが出るんじゃないかな……』と思ってしまいました。そこから、自分が真剣に勉強して、どれだけいい大学に行けるかを試してみたいという気持ちが強くなっていきました」
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