「ここで、一人でご飯食べていたんやな」
ガスコンロが置いてあった机を見て義理の息子が感慨深そうにつぶやく。誰も入ったことのない部屋だが、片付けていくうちに生前見ることのなかった義父の姿が頭の中をよぎる。それは釣り竿やルアーといった義父の趣味のモノだけではなく、“ホコリ”からも見えてくる。
15年間のホコリが積もり積もった部屋だが、所々にそのホコリがきれいにない場所があるのだ。きっと、義父はこの場所を気に入ってよく使っていたのだろう。一度も見ることがなかった義父の私生活が今になって浮かんできた。
「これ一緒に買ったやつや。一緒に使ったやつや。置いとったんやな、こんなの」
トランクルームからは一緒に使ったキャンプ用品が出てきた。還暦祝いのパーティーで義理の息子が送った品も保管されている。通夜、葬式とバタバタした日が続き、悲しむ時間もなかったのだろう。
ゴミ屋敷になるのは仕方のないこと
「寂しいというか、なんでもうちょっと早く相談してくれへんかったんやろう。かなり近い位置でお世話になっていた方なので、最後まで面倒見たいという気持ちがあった」と、義理の息子が後悔を打ち明けた。
今回は亡くなった後のことだったが、もし義父が生きていれば同じ言葉を本人に投げかけたことだろう。
しかし、「ゴミ屋敷の住人は、大丈夫じゃなくても周りに心配かけたくないからつい“大丈夫”と言ってしまうんです」と、二見氏が話す。
「“大丈夫”という言葉自体が、ある種のSOSなんじゃないかと思うときもあります。実際、人にゴミ屋敷の相談をするってなかなか難しい。
今回のようなケースを取り上げると、よく視聴者さんからまるで親を見放していたかのような指摘が入ることがあります。
でも、毎月のように顔を合わせていても、外で会っていた場合、実は実家がゴミ屋敷になっていたなんてことはよくある。いつも家に上がっていたのに急に入れてくれなくなったとしたら気付くかもしれないですが、そうでもない限りゴミ屋敷であることを見抜くことは難しいと思います」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら