江戸時代の老親介護「担い手は男性メイン」の理由 核家族化が進んだ江戸時代「庶民の介護」事情
そのうち佐兵衛は体が弱り、家の中にこもりがちになります。気分が良い日は家族が使う草履を作りましたが、二人は「父の作ったものだからもったいない」と、母にだけ履かせました。その後も「小ゆり」と「くに」は父母のケアを丁寧に続け、やがて佐兵衛は79歳で亡くなります。
生前、父が田んぼのあぜ(土のしきり)を触ったときにできた手形に目印の竹を立てた二人は、それを形見として大事にしたそうです。二人は領主から「孝行者」として表彰され、銀をもらいました。
両親のケアをした姉妹の介護事例です。父は眼病と中風を患い、自力で廁にも行けなくなったため、「小ゆり」と「くに」は排せつの支援を行っています。父の手の跡を形見として大切にした様子から二人の父に対する深い愛情が読み取れます。
母の介護と仕事を両立した七郎右衛門
・越後国(現・新潟県)三島郡成澤村に住んでいた「七郎右衛門」
七郎右衛門は百姓で、保有する田畑は14石。もともと家が貧しかったのですが、母に仕えて親孝行を尽くした人です。母の体調が悪く、医者に診察してもらったところ、中風の症状が判明します。力を尽くして療養すれば、せめて2、3年ほど命は持つと思い、七郎右衛門は走り回って医療を求めました。
夏は暑さで体を壊さないよう、うちわであおぎ、気血のめぐりに良いだろうと湯浴みもさせ、冬には温かくなるよう母の寝床に藁(わら)を入れたそうです。農事が忙しいときでも、日に3~4度母のもとへ行き、寝床に敷く藁と薬の状況を確かめてから田畑に向かいました。
七郎右衛門は「郷横目」という役人としての顔も持っていましたが、そちらの仕事もおろそかにせず、母の世話と仕事とを両立。その孝行ぶりが領主に聞こえ、褒美として銭をもらいました。