競争社会の優勝劣敗は「自己責任」というフェイク 責任とは「失敗の後始末をすること」ではない

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私は「責任なんてないし、取らなくてもいいんじゃない?」と返すのですが、相手は納得しません。問題が重大でない限り、役員さんを不安にさせても楽しく活動はできませんから、「そうかぁ。もう少しいろいろ意見を聞いてみましょう」と言えます。

多くの人が行っている「失敗の脳内翻訳」

しかし、「これは今、マジでやめないとダメだ」という、みんなを苦しめている案件の場合は、もう仕方なく「何かあったら、全部僕が責任取るから大丈夫です」と言いました。そう言われると、ほとんどの人は「そこまで言うなら、ま、いいです。それで」となります。

PTAの運営において責任が生ずるとしたら、その場面は「目の前の子どもたちの命を守る」と「会員から集めたお金をきちんと管理する」以外にありません。基本的に、任意団体の活動には失敗がないのです。ボランティアですから。

だから責任は「目の前の子どもが危険にさらされたのに放置した」とか、「みなさんから集めたお金を公正に扱わなかった(横領した)」といった、「大人として当たり前の責務を果たさなかった」ということであって、それは「PTA役員の責任」ではないわけです。

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