「仕方なく」家業を継いだ男性に起きた心境の変化 「うちの社員はすごい」大阪府八尾市の木村石鹸

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家族旅行の記憶は、お盆や正月に母の実家の三重に行ったことくらい。海外どころか日本国内も、家族で出かけたという記憶はありません。

創業者の名前は木村熊治郎といい、僕のひいおじいさんにあたります。

代々の家業ということもあり、親父には物心つくころから「おまえはこの会社を継ぐんやぞ」「おまえは4代目なんやから」と言われ続けていたわけですが、そう言われれば言われるほど、反発心が芽生えていきました。

後継ぎプレッシャーや呪縛からの逃避

なぜ、自分の人生を勝手に決められないといけないのか。

自分はこんな小さな誰も知らないような会社ではなく、もっとクリエイティブな世界で、もっと大きな世界で活躍するんだ。その根拠のない自信の背景には、ここから一刻も早く脱出したい、違う世界に身を置きたいという気持ちがあったように思います。

年々重みを増す後継ぎプレッシャーや呪縛から離れることができたのは、大学生になって、京都で一人暮らしを始めてから。実家との物理的な距離ができ、ようやく「本当の自分」を取り戻せた気がしました。

とはいえ、壮大な夢や目的は特になく、あっという間に3年が過ぎ、周りが就職活動に勤しむ中で、働かずに生きていけないかと、モラトリアム気分を引きずったまま、現実逃避よろしく、毎日釣りと麻雀と、家庭教師のバイトでのらりくらりと過ごしていました。

そんなある日、すでに大学を卒業していた先輩から「一緒にネットビジネスをやらへん?」と声をかけてもらったことをきっかけに、ベンチャー経営の道を歩むことになりました。

当時の日本はプロバイダーさえも数えるほどしかない状況。当然、インターネットが何かもよくわかっていませんでしたが、なんとなくおもしろそうというだけで、気軽に引き受けてしまったのです。まさか、その世界にあんなに夢中になろうとは……。

実家に帰るのは盆と正月ぐらい。高校ぐらいまではかろうじて多少の手伝いはしていましたが、20代になると石鹸工場にもまったく足を運ばなくなりました。実家で何が起きているのか、どんな商売をしているのか、僕は意識的に情報をシャットアウトしていたのだと思います。

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