工房職人の技「金子眼鏡」高級ブランド化への軌跡 低価格チェーン隆盛の中で"逸品"を訴求

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華やかな東京で時代の最先端に触れた後、ものづくりの故郷に戻った2代目は、卸売りの営業で各地に出向きながら、ある決意を持つ。自社オリジナルブランドの立ち上げだ。

「当時の業界はライセンスブランド全盛期でしたが、1987年に自社ブランド『BLAZE』(ブレーズ)をスタートさせました。幸い好評となり売り上げも拡大。10年後の1997年には『SPIVVY』(スピビー)という別ブランドを立ち上げ、こちらも成長しました。この2つのブランドが軌道に乗り、眼鏡卸問屋から製造販売業に進化したのです」(金子真也社長)

若い頃の金子氏の武器は営業でも培った「メガネを見る目」と「オリジナリティ」「感性」だったという。企画した自社ブランドが東京や大阪の個性的なセレクトショップで受け入れられ、BLAZEを愛用する芸能人が現れるなど人気が高まっていった。

時代性についても補足しておこう。セレクトショップの先駆者である「ミウラ&サンズ」が渋谷に開業したのは1975年で、2年後「SHIPS(シップス)」になった。「BEAMS(ビームス)」も同時期に創業しており、1980年代になると各地にセレクトショップが拡大した。

金子眼鏡
東京都千代田区の「金子眼鏡店」丸の内仲通り店(撮影:佐々木仁)

白山眼鏡店との縁

同社の進化の話を聞き、筆者はバッグ業界における吉田カバン(株式会社吉田)の例を思い起こした。吉田カバンは1962年に自社ブランド「ポーター」(PORTER)を立ち上げ、消費者に訴求してきた。同業他社が海外ブランドから認可を受けてライセンス商品を生産し、それを小売店が販売して発展した時代でも、ライセンス生産には関わらなかった。その結果、自社ブランドの存在感が高まった。

金子真也社長に聞きたかったことがある。大学を卒業して帰郷した前後、「白山眼鏡店」(はくさんがんきょうてん:本店は東京都台東区上野)をどう見ていたのか。

「当社とは違う形のファッション訴求をしていたと思いますが、1975年にオリジナルフレームを製作するなど、同社代表の白山將視(しらやま・まさみ)氏は憧れの存在でした」(金子真也社長)

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