「東出昌大の再婚」叩きまくる人への強烈な違和感 "失敗した人"はいつまで叩かれ続けるのか
では東出さんを叩く人びとは「自分の気持ちは数カ月で変わらないか」と尋ねられたら、そうとは言い切れないでしょう。「あくまで『自分はさておき』の前提で叩く」というアンフェアな構図が祝い事に対する過剰な批判につながっています。
もともと日本人は外国人よりも「気持ちが変わることへの否定」だけでなく、「他人に一途や純潔を求める」という傾向が強く、それは令和の今なお変わっていません。
ただ、かつては「自他ともに一途や純潔を求める」でしたが、匿名で自由にコメントできるようになってからは「自分はさておき他人には一途や純潔を求める」というニュアンスが強くなっています。
さらに言えば「一度失敗した有名人には、より一途や純潔を求める」ため、東出さんはこれほど叩かれてしまうのでしょう。
「いつまで叩かれるのか」と言えば、俳優などの表に出る仕事を続ける限り厳しい目で見られ続け、数十年単位でそのリスクを背負っていくのではないでしょうか。
社会の前提を無視して叩く人びと
あやうさを感じさせられるのは、「人間だから気持ちが変わることも間違えることもある」「結婚に限らず一度目はうまくいかない人が多い」という子どもに教えるような社会の前提を無視して叩く人が増えたこと。
有名人に限らず「失敗したらLINEグループなどで叩かれる」という恐れから、進学・就職や恋愛・結婚などで「一歩を踏み出せない」「挑戦しない」という結論に至りやすい世の中になっています。
中でも東出さんのケースは「人目にさらされ、批判を受けやすい有名人は失敗が際立つ」という最たるところですが、決して一般人に無関係な話ではないでしょう。「失敗してもやり直せばいい」「やり直そうとする人に優しくできなくても厳しい声を浴びせない」というムードをどう作っていくのか。
もし匿名で無責任な発言が飛び交うネット上を変えることが難しいとしても、自分が属する家庭、学校、会社、友人グループ、サークルなどの各コミュニティでその認識を共有していきたいところです。
では、東出さんがどんな報告をしていたら叩かれなかったのか。
おそらくどんな言い方をしても強引に叩くポイントを見つける人がいるため、批判を完全になくすことは難しいでしょう。しかし、3月や5月の発言に対する釈明や、杏さんや子どもたちに対するコメントがあれば多少批判はやわらいだかもしれません。
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