役員(委員)が決まらないときにいちばん必要なことは、“活動自体を見直すこと”のはずです。それは本当に必要な活動なのか? もっといいやり方はないのか? そういったことを問い直し、やりたくない人が無理やりやらなくて済むように、これまでの方法を変える必要があります。
ところが「平等な負担」の実現に力を振り向けてしまうと、中身の見直しに目が向かなくなってしまいます。「○○さんは一度も委員をやらなくてズルイ」といった不満は解消されるかもしれませんが、根本的な問題は、何も解決されないままになってしまいます。
そもそも、各家庭の状況はそれぞれ異なります。経済的に、時間的に、余裕がある家もあれば、ない家もあります。もともと決して公平ではないのです。
そこへ負担だけ平等に割り振ったら、当然のこと、きつい状況の人はもっときつい状況に追いこまれてしまいます。
筆者がとくに「もったいない」と感じるのが、この点です。
ポイント制という“罰則”が存在することによって、それだけで「PTA=嫌なもの」という意味づけがなされてしまい、その結果、ますますPTAが嫌われてしまうことにつながっていると思うのです。
世の中には、PTA活動を楽しんでいる人だって、意外といるものです。メディアはPTAの負の側面をとりあげることが多いので、そんな人がいるとは信じがたいかもしれませんが、実際に取材をしていると、そういう人もそこそこいるものだと感じます。
ところが、「PTA=嫌なもの」という意味づけが強くされすぎてしまうと、せっかく楽しんでやっていた人も、やりづらくなってしまいます。「変わり者」のように見られてしまうため、「PTA活動をやりたい」とは言い出しにくくなってしまうところがあるのです。これは、非常にもったいないことではないでしょうか。
以上のような弊害を考えると、「平等な負担」ばかりを求めて“負の意味付け”を強化するのは、やめたほうがいいと思うのです。
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