前回記事では、PTA同様にナゾの日本的組織である「町内会」(=自治会)について取り上げました。詳しくはそちらをお読みいただければと思いますが、自治会には必要性がよくわからない“強制労働”が多く、人々を悩ませています。活動のやり方に疑問をもっても問いを発することは許されませんし、要求された活動を放置した人は、夜中まで大勢に囲まれて糾弾されるという“吊るしあげ”にあったりします。
今回も引き続き、とある地方都市で自治会長を務めた紙屋高雪さん(『町内会は義務ですか?』著者)とともに、自治会の問題について考えていきます。
広域の自治会の集まりである「校区(自治団体協議会)」からの強制に耐えかねて元の自治会を休止させ、“新自治会”を発足させるという軽業を成し遂げた紙屋さん。“強制ナシ”の自治会やPTAの運営って、本当に可能なんでしょうか?
途絶えた時期は「必要なかった」ということ
大塚:私は自治会もPTAも日本独特のナゾの組織だと思うのですが、問題の根っこにあるものは同じという気がします。
紙屋:そうかもしれませんね。自治会もPTAも、いちばん大事なのは「目的性をはっきりさせること」と「自発性の原則に基づくこと」だと思いますが、今はそこがあいまいです。
「なんでその仕事をやるのか」という必然性が見えなければ、どんな仕事も苦痛としてしか感じられません。「自発的にやろう」という気にならないですよね。
大塚:私も「やりたい人がやる」のがいちばんいいと思うんですが、「強制をやめたら誰もやらなくなる」という心配をする人も多いですね。
みんな、そんなにやりませんかね? 紙屋さんの自治会だって、強制しなくても必要な活動はおのずと残ったわけですし。PTAの場合、学校のことに関心がある保護者は多いですし、余計にそう思います。
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