紙屋:強制をやめたら「ある時期は活動が途絶える」ということは、私は絶対あると思うんです。でもそれは、「その期間は必要なかった」ってことではないかと。またある時期になったら、「やっぱり作らない?」とか「そういうの、やらない?」という人たちが出てくるはずなので。
大塚:そう思います。本当に必要を感じたら、動く人は出てくるだろうと。必ずしも現役の保護者じゃなくてもいいと思いますし。
紙屋:以前、私が保育園の保護者会長をやっていたとき、こんなことがありました。そこは保護者がすごく自発的に動いて作られた保育園で、保護者会や保育運動、学習、バザーなど、みんな熱心にやっていたんです。でもだんだん形骸化して、部門によっては、来ない人は全然来ない状態になってしまいました。保護者会の仕事は「一家庭一役」ということで“義務化”されていたんですけどね。
ところが、あるとき保育園の存続を揺るがすような問題が起きて、存続運動を担う部門を保護者会の中につくろうという話になり、「その部門だけ“有志制”(やりたい人がやる形)でやってみよう」と提案したところ、みんなすごくバリバリ動くようになったんです。「ああ、これが原初的な姿だったんだな」と思いました。「目的性と自発性がはっきりすると、こんなに違うんだな」というのを、そのときも実感しましたね。
大塚:PTAも自治会も、スタートしたときはみんなそうだったんでしょうね。その姿に戻すためには、やっぱり強制はやめたほうが……。
いっそ“有志だけ”じゃダメですかね? 私も以前、父母会でなく“保護者有志”で動いたことがあるんですが、目的はちゃんと果たせました。PTAがなくても何かあったときはその都度、必要を感じる人が「有志」をつくれば済むのでは? それなら形骸化もしませんし。
紙屋:そっちのほうが、バネはすごく発揮できますよね。PTAや父母会と比べると、「重み」は劣るかもしれませんけれど。
大塚:内容によっては、学校の意向を気にしなくていい分動きやすいと思うんです。ただ、有志が乱立した場合に混乱するといったデメリットも考えられるので、一長一短ですが……。
「やめられない仕事」は本来行政の範疇
紙屋:「強制をやめたら、この仕事は誰が引き受けるの?」という話もよく出てきますよね。広報紙などはなくても困りませんから、「やりたい人がやる」形でいいですけれど、たとえば「旗振り」(登下校見守り)とか、「強制的に割り振りしないと、誰もやらないんじゃない?」という話になりがちじゃないですか。
大塚:必要かどうか、人によって意見が分かれる仕事もありますよね。
紙屋:これについては、私の中ではふたつの考え方があります。ひとつは、誰もやらないなら、それは“いらない(必要性がない)”ということだと思うんです。もしやりたい人が少なくて、もっと人数が必要だと思うなら、やりたい人が周りを巻き込んでやったらいい。
大塚:そこで強制的に人を集めるから、よからぬことになるわけで。
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