「虎に翼」LGBTQ描写に反発する人に言いたいこと 性的マイノリティを描くことは今や世界的潮流

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その点、まだ日本では“揺り戻し”は起きておらず、むしろ進んでいる最中、という印象だ。

『虎に翼』に限らず、昨年の大河ドラマ『どうする家康』でも家康の最初の側室が、女性を愛して家康のもとを去っていくというエピソードが描かれ「史実の改変では?」といった物議を醸した。

性的マイノリティのエピソードが挿入されることへの観る側の反発や動揺は、近年の日本でも見られるものだ。もちろん、そういった作品の数自体が多くなっていることに起因もしているだろう。だが、昔から性的マイノリティを描く作品がなかったわけではない。

例えば、2001〜2002年に放送された『3年B組金八先生』(第6シリーズ)では、上戸彩が性同一性障害(当時の作中の表現)のある生徒を演じた。

上戸彩演じる鶴本直が「俺は男だ!」と訴えるシーンや、父親役の藤岡弘、に「お前は女だ!」と胸を揉まれるシーンは衝撃的で、当時、このドラマで初めて、心の性と体の性が一致しないケースを知った視聴者も多いだろう。もちろん、当時のドラマでこのような題材を正面から扱うことは珍しかった。

同じ2001年に公開された映画『ハッシュ!』は、ゲイ男性同士のカップルと女性ひとりの3人がどう“家族”をつくり、子どもを育てていくのかという、20年前より現代のほうがより広く受け入れられそうなテーマの作品だ。

監督は、自身もゲイであることを公表している橋口亮輔で、1980年代後半から性的マイノリティの男性の苦悩を描いてきた軌跡の上にある、ひとつの到達点とも言える切実な作品だ。

“触れただけの物語”が量産されてしまう恐れ

それから20年以上が過ぎ、社会の意識も変わった。性的マイノリティを取り上げる作品も増えた。だが、それによって、なくなってしまったのは“新鮮さ”と“切実さ”かもしれない。

数が増えることによって、当事者ではない観る側の人びとも、意義は認めつつ「またか」と感じてしまうのかもしれない。初めて取り上げられる事象に対する“新鮮さ”、未知のものを理解したいという感情が生まれることは少なくなっているだろう。

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