日本では、何かと過保護になる傾向があります。親子関係がそうですし、農業に対してもそう。私の田舎でも小さな田んぼを持っているのですが、ある夏に行ったら草がボウボウに生えている。「どうしてこんなにしておくんだ」と言ったら、「こういうふうにしておくと、おカネがもらえる」というわけですよ。そんなのおかしいですよね。
私は、保護ではなく自立させて鍛えるように変えていくことが必要だと思います。これは農業だけではありません。弱いから守ってやらなければいけないのではなく、弱いから競争させなければいけない。米百俵の故事は、小泉元首相が引用して有名になりましたが、そのとおりです。コメを与えるより、農業を興すことを教えるほうがずっといい。
国や政府が保護してきた業界が厳しい状況に置かれ、保護しなかった業界が伸びている。総領の甚六じゃないけれど、大事にしすぎた長男がダメになっちゃって、ほったらかしにした二男三男が立派になるという、そのたぐいの話だと思います。
ガバメントアウトからシチズンアウトへ
政治家も、国民に対して口当たりのいいことばかりを言うのではなく、時には真剣に叱咤激励できるくらいでないといけません。でも政治家を見ていると、まだ高度成長時代だと勘違いしているところがあるのではないでしょうか。だから、国の借金がどんどん増えるのです。高度成長時代なら、税収が増えていくのでつじつまが合ったけれど、低成長になったら通用しません。
バブル経済がはじけたときに、経済も行政も、あらゆるものの流れが変わりました。失われた10年、20年といいますが、もう高成長の時代は永久に戻ってこないのですから、それに対応しないといけません。
実は、経済界は自然に対応し、変わっていけるのです。というのは、変わらなければ自分たちが食べていけませんから。でも、政治というのは、あれだけ借金を増やしてもまだ何とかやっていける。そこが困ったところです。
先日、故郷の岐阜県郡上市で講演をしました。経済の世界でプロダクトアウトからマーケットアウトへの流れがあるように、行政の世界でもガバメントアウトからシチズンアウトへと流れが変わってきている、というのがその内容です。
ガバメントアウトとは、中央集権そのものの姿です。高度成長下では機能しましたが、今では足かせになっている。政府起点から市民起点へと発想を転換し、地方も自立しないといけません。
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