「マーケットアウト」の発想から始まる エムアウト社長・田口弘氏①

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たぐち・ひろし エムアウト社長。1937年生まれ。63年三住商事(現ミスミグループ本社)設立に参画。69年社長。2002年相談役就任とともにエムアウト設立。「マーケットアウト」の理念をB to C市場へ展開中。日本を代表する現代アートコレクターでもある。著書に『起業革命「スタートアップ」のプロが伝授する事業創出のノウハウ』(小社刊)。

生まれは岐阜県郡上八幡。郡上の人間は正直で使いやすいといわれていて、リーダーはあまり出ていない土地柄なんですよ。大学卒業後、農機の会社に4年在籍した後に、高校の同級生が会社を始めるというので三住商事(現ミスミグループ本社、以下ミスミ)に移りました。

最初は高周波を使った自動水洗機を販売していたのですが、水が出なくなったり出っぱなしになったり。不良品が多くて商売にならなかった。でも何とか食べていかなきゃということで、創業メンバーのつてを頼り、ベアリングを売ることになったんです。

そうしたら、ニードルベアリングのローラーだけ売ってくれという精密会社が何社かあった。聞くと、金型の位置決めピンとして使うというんですよ。日本には専用商品がないのでローラーで代用していると。であれば、そういうものを売っていこうと。

消費者視点からのマーケットアウトの精神

お客さんが欲しいものを調達する、購買代理店というビジネスモデルは、ここから誕生しました。時代の流れにも合い、金型部品事業は順調に伸びました。私は、生産側のニーズが強い「プロダクトアウト」ではなく、消費者視点から商品やサービスを生み出す「マーケットアウト」というコンセプトをずっとテーマに掲げていますが、ここが源です。

ミスミは最初、営業部のない商社だったんですよ。お客さんの欲しいものを購買するので、売るための営業担当はいらないという論理なんですけど。ただ、どうしてそれで商社の仕事ができるのかと言われて。1994年に東証2部に上場するときには、説明するのが大変でした。

「人事部のない会社」というキャッチフレーズで紹介された時代もありました。人事部があっちへ行けというのではなく、「この指とまれ」でチームを編成し、解散する仕組みを取り入れたからです。ただ、これはうまくいった面もありましたが、それだけじゃダメでしたね。全体の人事異動も含めて組み合わせていく必要があるとわかりました。

33年間社長を務め、経営コンサルタントだった三枝匡氏(現会長)に交代しました。これも自分の意志ではなく、マーケットが決めるべきというマーケットアウトの精神があったからです。

私の能力でこの辺が限界だと思えば、トップが変わらないとマーケットの意志に背くことになるという気持ちがありました。というのも、ミスミは海外展開を徹底的にやっていかなければならいない時期でしたから。大企業に育てられる人にお願いしたかったんです。

週刊東洋経済編集部
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