「中宮彰子の出産後」に紫式部を襲った"深い憂鬱" 夜が明ければため息をつき、1人思い悩む日々

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7日目の夜の儀式は、特に大掛かりで、皆おおいに騒いでいたそうです。そんな中で、紫式部は中宮彰子がいらっしゃる御帳台(天蓋付きのベッド)をそっと覗き込みました。

紫式部は中宮のそのときの様子をこう書き記しています。

「御帳台の中を覗き込むと、中宮様は、国母と騒がれるような、押しも押されもせぬ御姿ではない。少しご気分が悪そうで、顔もやつれてお休みされている。その姿はいつもより弱々しく、若く、愛らしげだ。御帳台の中には小さな灯が掛けてあり、光に照らされた中宮の肌色は美しく、底知れぬ透明感があり、床姿の結髪で髪の豊かさが目立っている」

出産の緊張感から解放されても儀式などが続き、中宮も疲れていらしたのでしょう。その中宮を見つめる紫式部の心には、中宮を労わりつつ、どこか、年下の妹か子どもを愛おしむような想いが芽生えたのではないでしょうか(ちなみに紫式部は彰子よりも10歳ほど年上でした)。

道長の驚きの行動

出産直後の一連の儀式が終わると、中宮にも休息の時間が訪れました。紫式部の日記には「中宮様は10月10日過ぎまで御帳台からお出ましにならない」とあります。とはいえ、当然ながら、紫式部たち中宮に仕える女房は御座所に出勤し、夜も昼も中宮の傍に常駐したのでした。

そのような中で、藤原道長のある行動が、紫式部の日記に記されています。

道長は、夜中であろうが、未明であろうが、御座所のほうに参り、皇子の乳母の懐を探ったというのです。それは変な意味ではなく、皇子を抱っこしたいからでした。とは言え、可哀想なのは乳母です。ぐっすり寝入っていても、道長に起こされてしまうからです。

道長はそんなことはおかまいなし。首も据わらない皇子を抱き上げて、心ゆくまで可愛がっていたようです。

あるときには、抱っこの最中に皇子が粗相をしてしまったことがありました。道長は、着ていた直衣を脱ぎ、几帳の後ろで炙ってそれを乾かしたそうです。

直衣が濡れたのに、道長はなぜか大喜び。「親王様の小便に濡れるとは、なんと嬉しいこと。濡れた着物を炙る。これこそ、念願が叶った想いじゃ」とご満悦だったのです。

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