紫式部が見た「中宮彰子」の異様すぎる"出産光景" 出産は「物の怪」との戦い、涙を流す女房の姿も

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道長は、あれやこれやと大声で指示を出したので、僧侶の祈祷の声もかき消されるほどだったとのこと。道長も相当気が立っていたのでしょう。

多くの人々が、あっちへ来たり、こっちへ来たり、ソワソワとして落ち着きがありません。殿方(左の宰相の中将・経房)が几帳の上から覗き込んだので、紫式部たち女房らの泣き腫らした顔も見られてしまいました。

そのときには恥ずかしいと思う精神状態にはなく、後から(あのときのぺしゃんこになった装束を着た私は、どんなにみっともないものだったか……)と、恥ずかしさというよりは、笑いがこみ上げていたようです。

多くの者が、中宮の出産を今か今かと待ち受け、いよいよそのときがやって来ました(出産前、中宮は頭頂部の御髪を削ぎ、授戒されたといいます)。

紫式部が記録した出産の異様な光景

出産の直前の異様な空気を紫式部は日記に記しています。

「ご出産なさるというときに、中宮様から形代に移された物の怪が悔しがってあげる叫び声の何とおぞましいこと。

阿闍梨(高僧)らは、物の怪に引きずり倒されて大変気の毒なことになっていた。そのため、念覚阿闍梨を呼び、加勢させた。阿闍梨の法力が弱いのではない。中宮様に憑いていた物の怪の力が強すぎるのだ。祈祷師たちは、一晩中、大声を張り上げていたため、声を枯らしている」と。 

現代の出産の光景とは、かなり異なります。出産は、物の怪との戦いでもあったのです。

「阿闍梨は、物の怪に引きずり倒されて大変気の毒なことになっていた」とありますが、何日も祈祷を続けて、僧侶も一種の興奮状態になっていたのでしょう。

祈祷の甲斐があったのか、中宮彰子は、無事に男子を出産されます。安産でした。

その瞬間、紫式部たちの心は、曇り空が晴れ、朝日が差したようになりました。そして中宮の御前には、ベテランの女房たちが控えていました。何日間も緊張状態におかれ、涙を流していた女房などは、その場を離れて休憩を取ります。紫式部もほっと一息、休息をとったのではないでしょうか。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数
X: https://twitter.com/hamadakoichiro
 

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