子ども服で"炎上"「男性下げ」が禁句となった背景 かつては「おっさんの発想だ」なども許されたが…
直近では、大正製薬の「リポビタンD」の電車内広告に関して起きた議論も、女性の性役割の固定を想起させるものだった。
男性を描いて炎上したケースとして思い出されるのが、2017年の「牛乳石鹸」のWEB動画「与えるもの」篇だ。
本動画は、「がんばるお父さんたちを応援するムービー」と銘打たれており、父親の視点から描かれている。家庭的な父親になろうと、葛藤しつつも奮闘する男性の姿が描かれるのだが、息子の誕生日に上司に叱られていた後輩をねぎらうために飲みに行ってしまう。このシーンが女性を中心に批判を集めた。
この動画は、男性の“身勝手な”行動を擁護するような内容であったから批判されたのであり、男性を落としていたわけではない。
20年ほども前のことになるが、「女は変わった。男はどうだ」というキャッチコピーの日本経済新聞の駅貼り広告があった。筆者はこの広告を見て引っかかりを覚えたが、問題だとは思わなかったし、炎上もしていなかった。
2011年には、コカ・コーラの缶コーヒー「ジョージア」の「男ですいません。」というシリーズCMが放映されていた。「男は○○」という表現が多用されていたが、炎上はしていなかったし、むしろ「良いCMだ」と好評だった。
このCMは、男性を落とすものではなく、むしろ肯定するような内容だったが、現在であれば「男性のイメージを固定化している」という批判を浴びた可能性はある。
今回の「バースデイ」で使われた文言は、コミカルではあるが、明確に「男性を下げる」ような内容だったし、子ども用の商品であったことも問題であったと思う。
父親のイメージを固定するメッセージ性だけでなく、それを子どもに着用させることで、「母と子が結託して、父親をないがしろにする」という構図ができてしまう。
“強者”と“弱者”が入れ替わる時代へ
商品や広告に関わるものに限らず、表現の世界では(社会的)弱者が強者を叩くことは、(ある程度まで)許容されている。つまり、実社会の力関係と、表現の自由度は逆転しているのだ。
「それはおっさんの発想だ」と言っても批判されにくい(筆者も何度か言われたことはある)が、「それはおばさんの発想だ」と言うと批判されやすい。
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