ダイゴさんは「仕事をしたい。社会とつながりたいんです」と切望する。しかし、実際はもう5年以上ほとんど働いていない。今は親戚の家に居候しながら暮らしているという。
配達中に「もらい事故」
日本郵政公社を辞めてから、ダイゴさんはどんな仕事に就いたのか。
ダイゴさんはその後、同じく日本郵政公社の郵便配達員として働き始めた。非正規職員である「ゆうメイト」だったが、新卒で同公社に就職したときから郵便業務を希望していたのだという。
しかし、実際に働いてみると、とにかく誤配が多かった。ダイゴさんは「月に2、3回はあったと思います」と認める。業務量が多く、夜10時ごろにバイクのライトを頼りに配達することも珍しくなかったというが、誤配は配達員にとって致命的なミスでもある。
そうした中、配達中に事故に遭ってしまう。同じ郵便局の車両から追突される、いわゆる「もらい事故」だったが、ダイゴさんはなぜかドライバーに「大丈夫です」と言い、そのまま仕事を続けてしまったという。
私が取材していた当時、郵政職場では事故を起こしても労災を申請させないばかりか、自腹で車両を修理させられた、人事評価を下げられたと話す職員にも出会った。ダイゴさんとしては誤配が多いことへの後ろめたさから、事故を報告することへのためらいもあった。しかし、適切な事故処理は労災申請のためにも必要なことだ。結局、ダイゴさんはこの事故が原因で肩を痛め、配達を続けることが難しくなったという。
その後、玩具の製造販売メーカーで働いたこともある。ここでは複数の上司から真逆の指示を出されるなどして、どちらに従っても理不尽に叱責されたことがストレスだったという。それぞれの上司に、指示を統一してほしいと言えば済む話なのでは? 私がそう指摘すると、ダイゴさんは「怖くて言えませんでした」とうなだれた。
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