指導者に「大きくて強そうな人」を選ぶ残念な本能 通用しなくなったのに残る石器時代の思考法

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私たちが身体的な外見を、指導者選びのときの近道として使うことを示す証拠はたっぷりある。それは新しい現象ではない。

プラトンも『国家』でそれを取り上げ、無能ではあっても、他者よりも背が高くて力の強い船長が、愚か者たちの乗った船を率いている様子を説明している。

プラトンの言うことにも一理ある。私たちが指導者を選ぶときには、石器時代の脳と、ヒトという種の進化史のせいで、女性よりも男性を、背の低い男性よりも背の高い男性を、自分たちに似ていない人よりも最もよく似ている人を選ぶことを、科学は示しているようだ。

アムステルダム自由大学の進化心理学教授マルク・ファン・フフトは、過去数十年間、このような偏った好みと、それを生み出したミスマッチを調べてきた。

彼は著書『なぜ、あの人がリーダーなのか?』(アンジャナ・アフジャと共著)で、これらの好みが振るう力の大きさは状況次第であるものの、そうした好みが常に存在していることを示した。

とはいえ、これが決定的な点なのだが、このような認知バイアスが存在するからといって、それが不可避だったり、許容可能だったり、「自然」だったりするとはかぎらない。こうした馬鹿げた衝動を無効にすることは可能だ(そして、不可欠でもある)。

ところが、私たちの多くの中に、もう通用しなくなった石器時代の思考法が残っていることを認めるまでは、それを直すことはできない。

狩猟や戦争に適したリーダーの特徴

狩猟採集社会は現代社会よりも平たかった。だが、それらの社会にも、依然として非公式な指導者がいて、たとえば、みなを組織して狩猟の遠征に出ただろうし、集団での意思決定のときにある程度の影響力を獲得したかもしれない。

そのような非公式のリーダーシップは、特定のタイプの人に適していた。ファン・フフトが説明しているように、「祖先の人間たちの間でのリーダーシップは、狩猟や戦争といった、身体的活動で発揮されることが多かった。リーダーは模範を示し、しばしば先頭に立って指導したので、健康やスタミナや堂々たる体軀(たいく)といった、選択の手掛かりがあったことだろう」。

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