「藤井聡太を"人間"にした男」伊藤匠の背負う宿命 「同世代棋士が無敵の王者を破ったこと」の意味
伊藤が棋士になったのは2020年10月1日、藤井に遅れること4年だった。「早く公式戦で対戦したい」と願ったが、藤井はすでにタイトル2つを持ち、新人の四段棋士が当たるまでには、予選をいくつも勝ち上がっていかねばならない存在になっていた。
ここまでの2人の経歴を並べると、伊藤が平凡な棋士のように感じるかもしれない。だが藤井が特別すぎるだけであって、伊藤もまた“天才棋士”であることに疑いはない。
17歳でのプロデビューは、トップ棋士になる期待値が十分に高いものであったし、また初の通年参加となった2021年度には新人王戦で優勝、そして藤井の5年連続勝率1位を阻止して年間勝率1位にも輝いた。2023年度には最多対局賞、最多勝利賞も獲得している。
デビュー時からプロ間での評価も高く、「序盤の精度はすでにトップレベル」との声も聞かれた。もし藤井がいなかったら、伊藤は間違いなく将来の棋界の第一人者として期待されただろう。そんな彼が生まれるわずか3カ月前に、将棋史をことごとく塗り替えていく男が生を受けていたのは、宿命なのだろうか。
「藤井聡太も“人間”だった」
今回の伊藤のタイトル奪取を、プロはどう見ているのか? 日本将棋連盟常務理事の森下卓九段に話を聞いた。森下は羽生善治の七冠時代に挑んだ棋士であり、タイトル戦の挑戦者に6度なっている。
「私は実力的には、伊藤さんが勝っても何の不思議もないと思っていました。ただ、最初に勝つということは大変なことなんです。今から28年前に羽生さんが七冠を制覇したとき、誰もが精神的に『勝てない』という気持ちがあった。羽生さんは神に近い存在だと、どこか潜在意識に刷り込まれてしまうんですね。
藤井さんにしても『AIを超えた』とか『神の一手』とか、そうした言葉があふれることで、知らず知らずに対戦する相手も暗示にかかってしまうんです」
もちろん羽生、藤井の実力が抜けていることには違いがない。ただ森下は、それだけでなく周囲の雰囲気が、さらに勝ちづらくなる状況を生んでいるというのだ。
伊藤はこの半年間に竜王戦、棋王戦、叡王戦と3つの棋戦で挑戦者になった。1つのタイトルに挑戦するだけでも大変な中で、この実績は彼がトップ棋士への階段を上り詰めていることを表している。
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